戦前最後の沖縄「綱挽」 激しい競り合い、みなぎる闘志

沖縄タイムス・城間有
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 戦前の沖縄の人や風景を写した写真165枚が、朝日新聞大阪本社(大阪市)で見つかった。戦前の沖縄の写真は戦災で多くが失われ、まとまった形で見つかるのは珍しい。その中から選んだ写真を紹介する。

 「けんか綱」と呼ばれるほど激しい競り合いがあったという那覇大綱挽(なはおおづなひき)。1935(昭和10)年に撮影された写真には、その闘志がみなぎっているようだ。

 大綱挽は地区ごとに東西に分かれて競う。各町の旗が掲げられ、頭巾に「ムムヌチハンター」という伝統的な黒の衣装の男性やたいまつのような物を持つ男性も見える。周りには多くの見物客。左奧には「桟敷申込所」の看板がある。場所は那覇港の近くの「通堂(とんどう)大通り」で、当時の那覇の中心街だ。

 「那覇大綱挽保存会」相談役の真栄里(まえざと)泰山(たいざん)さん(76)は「桟敷席があったとは知らなかった」と驚く。「この年は波上宮(なみのうえぐう)(那覇市若狭にある神社)の三百年祭奉納で、来賓もいる特別な大綱挽だったと考えられる」

 沖縄では古くから、豊作などを祈って綱引きが行われてきた。大綱挽の源流である「那覇四町(ゆまち)綱」は、琉球王国時代の1812年の文書に現れる。

 綱挽の前には各町が旗を掲げ、太鼓やほら貝を鳴らして練り歩く。夜になると東西の綱の先端の輪を組み合わせ、「カヌチ棒」を通して固定してから引き合う。1935年当時とみられる新聞記事は「火矢鼓鐘のどよめき旗頭は空中に乱舞し、また唐手の達人等は身軽の扮装で士気を鼓舞する」と熱気を伝え、「五時間も曳(ひき)合った」と伝えている。

 この年は戦前最後の「綱挽」となり、復活したのは沖縄戦を挟んで36年後の71年だった。(沖縄タイムス・城間有)