デザインが改良された沖縄の漆器 モダンな姿へと変化

沖縄タイムス・城間有
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 戦前の沖縄の人や風景を写した写真165枚が、朝日新聞大阪本社(大阪市)で見つかった。戦前の沖縄の写真は戦災で多くが失われ、まとまった形で見つかるのは珍しい。その中から選んだ写真を紹介する。

 ティーカップやワイングラスのような器、水玉模様のふたもの――。昭和初めごろに撮影された漆器はどれもモダンな形と模様で、琉球王国時代の漆器とは違った雰囲気だ。

 水玉模様は、顔料で色づけした漆を粘土状にし貼り付ける琉球漆器の伝統的な技法「堆錦(ついきん)」が使われているとみられる。地の色は琉球漆器に特徴的な朱色だろうか。漆器を専門にする浦添市美術館の宮里正子館長は「このようなデザインは初めて見た。琉球漆器が豊かなものだったことを知らせてくれる」と話した。

 王国時代、「貝摺(かいずり)奉行所」という役所が琉球漆器を制作して首里城の内装を飾り、輸出して経済を支えた。1879年の「琉球処分」以降も職人は制作を続けたが、品質の向上が課題だった。大正に入り、砂糖の価格が上がって好景気になると、琉球漆器業界は活況を呈する。1927年にできた県工業指導所は、県外から教員を招き、デザインの改良に力を入れた。写真左下の「なでしこ」柄のわんは、工芸展に出品された県工業指導所の作品の柄と同じで、同指導所がデザインしたとみられる。

 35年にできた沖縄漆工芸組合「紅房(べんぼう)」は、欧米向けの万年筆パッケージやおしろい入れも受注した。

 ただ、戦時色が濃くなると、漆器の立場も危うくなった。沖縄に来た東条英機首相が工業指導所の陳列品を「非戦時的ぜいたく品」と非難したという話が残る。戦後の米国施政権下で、生き残った職人らが乏しい材料を工夫して漆器を作り始め、米軍人に土産用として人気があった。(沖縄タイムス・城間有)