井寺古墳 復旧へ一歩

山田菜の花
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 5年前の熊本地震で石室が変形するなどの被害を受けた国史跡・井寺古墳(熊本県嘉島町)について、応急処置の施工方針が決まった。損傷が激しく石室内での作業は危険なことから、工法や今後の保存などの議論が難航していた。史跡指定から100年の節目に、ようやく一歩踏み出した。

 井寺古墳は5世紀末に造られた直径35メートルほどの円墳。石室内や入り口は赤、青、白、緑で彩色され、直線と弧線を組み合わせた幾何学文様「直弧文(ちょっこもん)」などが描かれている。この文様は1916(大正5)年に旧京都帝大が発掘調査を実施して命名。これを機に広く知られるようになり、21(同10)年には国史跡に指定された。

 しかし、2016年4月の熊本地震で石室入り口部分の石が崩れ、内部も大きくゆがんだほか、墳丘に亀裂が入る被害を受けた。現在は木材で入り口周辺の石を支え、温湿度を調べるセンサーを6カ所に設置している。しかし、石室内は崩落する恐れがあり、立ち入ることができない。

 嘉島町は、識者と住民代表計6人でつくる検討委員会を設置。17年7月から井寺古墳の今後について議論してきた。ただ現地での保存修復にしても石室解体にしても、内部に入れないことには作業できないため、方向性が定まらなかった。

 今年3月18日の5回目の会議で、まずは石室の天井部分を補充材で支えて崩落を防ぎ、人の立ち入りを可能にする応急処置をすると決まった。今後、町民の意見を反映させた上で現地保存か解体かなどを決める。

 町教育委員会で文化財担当技師を務める橋口剛士さん(42)は「ようやくスタートラインに立てた」と表情を引き締める。16年4月に町に採用された直後に地震が起き、井寺古墳をはじめとする文化財の復旧や、復興事業に伴う発掘調査などにあたってきた。

 井寺古墳は今年、史跡指定から100年にあたる。「今後も地震や豪雨などの災害は起きうる。次の100年後にも井寺古墳を残していくため、町民とともに保存方法などを考えて職責を全うしたい」

     ◇

 井寺古墳(熊本県嘉島町)は江戸時代に発見されたが、経緯や埋葬品など詳しいことは分かっていなかった。熊本地震後、被災した住宅から当時の状況を記した古文書が見つかり、今後の復旧に役立つ貴重なデータが得られた。

 熊本大文学部の三沢純・准教授(近世近代史)によると、古文書は現在の嘉島町や同県益城町で庄屋を務めていた有馬家のもの。熊本市に住む男性が2016年4月に起きた熊本地震の10年ほど前に古物商から購入した。

 地震で自宅が被災し、男性は古文書の扱いを考えていた。5月に報道で被災文書を救出する「熊本被災史料レスキューネットワーク」の活動を知り、事務局長を務める三沢准教授の元へ古文書を持ち込んだ。

 三沢准教授は17年5月から大学院生らと文書の整理に着手。18年4月、全1721点のうち4点に、井寺古墳の記述を見つけた。惣庄屋へ古墳発見を報告する際の下書きなどだった。

 これまでは、地震で土砂が崩れて石室が見つかったとされていた。だが文書には、肥料にするため土を取っていたら崖崩れが起きて扉のような石が現れ、それを外すと石室があったと記載。内部からやり1本と刀5本、丸鏡、矢じり50個ほどが見つかったと記し、石室入り口や石室内などの詳細な寸法も記録していた。

 「現代の電話やメールにあたる文書で、用が終わればすぐ捨てられるものが多い。残っていたのが奇跡的」と三沢准教授は話す。

 19年1月には、熊本藩主細川家の「永青文庫」史料から、有馬家の報告書を書き写した文書も発見。これで井寺古墳が安政4(1857)年閏(うるう)5月に発見されたことまで分かった。

 出土品は現在、刀4本のみ伝わるが、矢じりが見つかればその形状から古墳の詳しい築造年代が分かる。今後、熊本地震で被災した井寺古墳を整備すると決めた場合、被災前の状況に戻すだけでなく、文書の採寸を根拠に江戸時代の発見時にまでさかのぼって復元することもできる。

 「通常は文書の内容を考古学の発掘調査で裏付けることが多いが、その逆は珍しいのでは」と三沢准教授。「旧蔵者の男性が史料の散逸を防ごうと購入し、偶然私たちの活動を知ったおかげで、井寺古墳の新たな事実が判明した。民間が所有する古文書などの未指定文化財を整理し調べることの意義を知ってほしい」(山田菜の花)