「腕ない方がいい」がんで切断 ジミヘンに憧れた21歳

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今直也
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 牛肉を煮込む大鍋を持ち運ぶ右ひじがじんわりと熱をもっているように感じた。「腱鞘(けんしょう)炎かな」。神奈川県藤沢市の大坂曹平(おおさかそうへい)さん(35)が、異変を感じたのは、20歳の頃だった。茨城県立農業大学校で、バラの栽培の実習をしたり、夜は牛丼店でアルバイトをしたりと腕を酷使していた。

 接骨院で冷やすなどしてもらうと一時的に気にならなくなったため、そのまま放っていた。

 小学6年から始めたギターにのめり込み、農業大学校卒業後は、当時住んでいた水戸市の楽器店に就職した。3人組のロックバンド、ブランキー・ジェット・シティの「赤いタンバリン」は、繰り返し練習した曲だ。世界的ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスに憧れ、「プロのギタリストになりたい」と思うようになった。

 仕事は、趣味の延長のようだった。客とギターの話ができ、店のいい楽器を弾くことができる。どんどん得意客がついた。「悪い営業マンじゃなかったと思う」

21歳の誕生日に訪れた転機

 だが、働き始めて2カ月ぐらい経ったころ、腕が曲がらないくらいの痛みに襲われた。ギターを弾くのもやっと。「こんなに痛いのはおかしいな」。我慢も限界だった。

 水戸市の病院に行くと、右ひじに腫瘍(しゅよう)がある可能性を指摘された。良性か悪性かは分からなかった。紹介された土浦協同病院(茨城県土浦市)の専門的な診断を受けることになった。ひじの組織を調べる生検などの検査を経て、診察室で一人、医師から告げられた。「悪性です。治る病気になっているから、がんばろう」。骨にできたがん、骨肉腫だった。

 風邪と言われたくらいの淡々とした告知だった。受け止める余裕がないまま、翌日から入院し、治療を始めることになった。就職して3カ月。病院から帰る車の中で涙がにじんだ。「人生どうなっちゃうんだろうな」。ちょうど21歳の誕生日だった。

 まず、抗がん剤で腫瘍を小さ…

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