完成不能の辺野古「続けるのは無責任政治」 山崎拓氏

編集委員・藤田直央
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 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設問題には、自民党の多くの有力者が関わってきた。その一人が山崎拓・元副総裁(84)。小泉内閣が現行案を決めた2000年代には首相補佐官として米国や沖縄の関係者とも向き合った。交渉の内幕や混迷を深める現状をどう見るか聞いた。

 普天間飛行場の返還で合意した1996年当時は自民党政調会長。その頃から関わっていますが、代替施設を沖縄県内に造ることが、今日のような県全体の反対運動につながるとは思ってもいませんでした。人口密集地に飛行場がある危険性や、その土地が返還される有用性の方が認識されていて、移転先は付随的な問題と捉えていました。

 2004年に米軍ヘリが飛行場そばの沖縄国際大学に墜落し、日本政府は移設を急ぎます。私を補佐官に任命した小泉純一郎首相は、本土で引き受ければ一番いいと考えていました。一方で、「選挙の鬼」でもあった小泉首相は、住民感情からして無理はできないとわかっていました。

 私も県外移設を具体的に検討はせず、名護市辺野古米軍基地内に移設する「陸上案」を米側に打診しました。海を埋め立てようとすると環境保護を訴える移設反対派に工事を妨害されますが、その心配がないからで、小泉首相もこれでいけ、ということでした。

 しかし、米側は陸上案では地元住民が反対すると言って浅瀬の埋め立て案を強く主張しました。結局、陸上案を海の方へずらして、一部は沿岸を埋め立てることで滑走路を造る案で05年に妥協。さらに06年には、埋め立て面積を増やした現行案で合意することになってしまいました。

 民主党政権が「県外移設」を唱え、県民の期待を高めて失望させたが、返還が実現しないのは、そのせいではない。海を埋め立てる移設工事が進まないからです。海底に軟弱地盤が見つかって、もう完成不能と言っていいのに、工事を続けるのは無責任政治です。

 中国への対応で沖縄の米軍基地は重みを増しています。陸上案への修正に県民の理解を得て、移設を急ぐべきです。(編集委員・藤田直央

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 やまさき・たく 1936年生まれ。福岡県出身、早大卒。2009年まで衆院議員を12期務めた。防衛庁長官や建設相のほか、自民党の政調会長や幹事長、副総裁を歴任した。小泉元首相、故加藤紘一元幹事長とは盟友関係にあり、「YKK」と呼ばれた。