「悪役引き受けた」 辺野古容認の会見、石破茂氏の回顧

松山尚幹、編集委員・藤田直央
[PR]

 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の返還合意から25年。かつて自民党政権下でも様々な案が浮かんでは消えた。防衛庁長官などを歴任し、揺れ続ける計画を間近で見てきた自民党石破茂元幹事長(64)に話を聞いた。

 2004年8月、小泉純一郎内閣で防衛庁長官を務めていた頃、普天間飛行場のそばの沖縄国際大学に米軍ヘリが落ちました。瞬間に思ったのは、大変な事故だが奇跡的に死者が出なかった、これは「移設を急げ」という天のお告げだ、と。とにかくリスクを最小化するために辺野古移設は急がにゃならん、と思いました。政府としてもそうなりましたね。

 防衛庁長官を交代する1週間ぐらい前だったと思います。代替施設は撤去可能で環境への負荷が少ないメガフロートが適切だ、と思っていたので小泉首相に言いに行くと、「それはだめだ。お前たちが知らないことがいっぱいあるんだ」と。理由を聞くと「それは言えない」ということでした。

 この問題を解決するためには、中央政府がどれだけ沖縄に真剣に向き合うかです。沖縄の歴史、県民が今のような感情を持つに至った理由を可能な限り知り、可能な限り沖縄に足を運ぶこと。それは(ともに首相を務めた)小渕恵三さんや橋本龍太郎さん、(官房長官、幹事長を歴任した)野中広務さんや梶山静六さんがそうであったように。

 自民党幹事長時代の13年に、沖縄県連の国会議員と記者会見を開きました。(辺野古反対だった県連の方針を転換させ、従えるような形式だった会見は)今から思えば、沖縄のためにも自民党のためにもならなかったのかなと思うんだけど。私としては、辺野古移設容認は自民党の沖縄の国会議員が悪いんじゃない、ということを見せたくて、幹事長として悪役を引き受けました。あれから沖縄ではあまり歓迎されていないし、今はコロナ禍で行くのははばかられるが、事情が許せばまた行きたいと思っています。

(肩書は当時)(松山尚幹、編集委員・藤田直央

 いしば・しげる 1957年生まれ、鳥取出身。慶大卒。旧三井銀行を経て、86年衆院選に29歳で初当選。当選11回。防衛庁長官防衛相、農林水産相、自民党幹事長、地方創生相などを歴任。党総裁選にはこれまで4回挑戦している。