白くつやつやらっきょうNo.1

角谷陽子
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 もしも砂丘がなかったら?

 「らっきょうの成功もなかったでしょう」

 鳥取砂丘や大山をフィールドに研究している「自然に親しむ会」の清末忠人会長(89)から教えてもらったことがある。一大産地という鳥取市福部町かいわいを4月下旬、訪ねてみた。

 日本海をバックに、一面に緑が広がる。らっきょう畑だ。福部らっきょう組合長会長の宮本和裕さん(72)が自分の畑から掘り出してくれた。白くつやつや、ふっくら。5月下旬の出荷を前に、球が膨らんで分裂している最中という。鳥取県のらっきょうの収穫量は全国一(2018年)だ。

 福部地区のらっきょうは江戸時代参勤交代の折に小石川薬園から持ち帰ったとの言い伝えが残る。

 最初は自家用に細々と作っていたらしい。本格生産が始まったのは1914(大正3)年。濱本四方蔵氏が石川県かららっきょうを取り寄せ、まとまった栽培に成功してからという。旧陸軍の演習地だった砂丘が戦後、地元に払い下げられたのをきっかけに、開発が一気に進んだ。

 だが、砂地での栽培は過酷だった。一斗缶に水を入れててんびん棒でかつぎ、何度も往復する。女性の仕事とされ「嫁殺し」と呼ばれた。宮本さんも子どもの頃、手伝った。「水をやっても、すぐ蒸発するんです」。状況が一変したのが77(昭和52)年、「念願」とされていたスプリンクラーの完成だ。

 かつてはサツマイモや桑なども作られていたが、いまはらっきょうが主体。62戸が112ヘクタールを栽培しており、福部地区の畑の6割近くにあたる。夏は地表の温度が約60度にまで上がり冬は雪に覆われる過酷な環境に最も適したからだ。

 それでも残る課題もある。JA鳥取いなば福部支店の前支店長の上原伸一さん(60)によると、鳥取砂丘は国立公園に指定されており、私有地でありながら大規模な土地の改変が制限されている。起伏があっても平坦(へいたん)にならすには環境省の許可が必要で、機械化が進みにくかった。高齢化、人手不足も悩みだ。栽培面積も86(昭和61)年の171ヘクタールをピークに減少傾向にある。

 宮本さんは毎日、畑を見回る。強い季節風に葉が弱っていると感じる時もある。「それでも春先、暖かくなって葉がしゃきっと伸びてくるとうれしい」

 本格栽培100年を記念して2014年に発行された冊子のタイトルは「砂丘に輝く生きた宝石」。もしも砂丘がなかったら、白く光る砂丘らっきょうも、過酷な環境で栽培に努めた先人の努力も、なかったのかもしれない。(角谷陽子)