ブレる、変わる、相反する だから赤松玉女は人間を描く

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田中ゑれ奈
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 「共通するのは人間を描きたいということと、『ブレブレしているもの』を描きたいということ」。幾度かの画風や技法の変遷を経て、新たな表現を模索し続ける画家・赤松玉女(たまめ)。京都市立芸術大学在学中の初期から同大学長となった現在まで、約35年の画業をたどる個展が、出身地の兵庫・尼崎で開かれている。

 赤松の初期作品は具象的だが、特定の物語を表すわけではない。「映画のワンシーンをつくるように、物語の種だけ拾って、そこから自分で舞台を構成していく」と赤松は話す。

 無国籍的なファンタジーに満ちた1980年代の作品群は、画面の多くを占める余白が印象的だ。「金魚の恋」では、断片的に切り取られた人物や動物の背景に注目すると、ひらがなの「み」の形が浮かび上がる。コミカルにデフォルメされた男女の背後に乳白色の空間が広がるシリーズでは、いったん黒く塗った画面に自作の塗料を重ねて表面を削るなど、実は余白部分が最も入念に塗り込められている。図と地、内と外の関係が、ここでは容易に反転する。

 80年代後半、赤松の表現は…

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