金剛輪寺の「顕戒論」 日本仏教の巨人が心血注いだ主著

滋賀県立琵琶湖文化館・井上優
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 【滋賀】天台宗の名刹(めいさつ)・金剛輪寺には2千点を超える聖教(しょうぎょう、仏典類)が伝えられ、本品は江戸時代(19世紀)に書写されました。

 6月4日は、822(弘仁13)年に亡くなった伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)の1200回忌。「顕戒論(けんかいろん)」は、天台宗比叡山延暦寺を開いた日本仏教の巨人の思想の一端を伝えます。

 最澄は818~819年、比叡山で僧を育てる規則である「山家学生式(さんげがくしょうしき)」を朝廷に提出しました。それに反発する南都諸宗からの批判に答えながら、僧団規律のあり方について論じたのが「顕戒論」です。最澄が心血注いだ同著では、インドや中国の事例などを幅広く引用しながら、「大乗戒壇(だいじょうかいだん)」を比叡山に設置する必要性が力説されます。

 この立論の前提として最澄は、別の著書で「仏性論(ぶっしょうろん)」を論じ、すべての生命が本質的に平等で、仏となるべき存在だと主張しています。未来の仏である衆生(しゅじょう、生き物)の苦しみを救う、無私の人材を育成するためにこそ、大乗戒壇が必要でした。

 最澄が没した7日後、嵯峨天皇によって大乗戒壇の設立が許可され、「顕戒論」執筆など最澄の懸命の努力が実を結びました。(滋賀県立琵琶湖文化館・井上優)