北朝鮮の食糧難はどうなった 尾を引く金日成時代の失敗

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 北朝鮮金正恩(キムジョンウン)総書記が、朝鮮労働党の末端組織の責任者を集めた会議で、「『苦難の行軍』を実行する」と発言したと報じられました。この言葉は、金正恩氏の父親の故金正日総書記が事実上の指導者の地位にあった1990年代半ば、当時直面していた深刻な飢饉(ききん)を乗り越えようと使われたスローガンとされています。また、当時のような深刻な状況に陥っているのでしょうか? 北朝鮮の食糧不足はこれまで国連機関もたびたび警告していますが、食糧難が慢性化しているなら、それはなぜでしょうか。環日本海経済研究所調査研究部の三村光弘主任研究員に話を聞きました。北朝鮮を約40回訪れ、現地調査もしている専門家です。

 ――今回の「苦難の行軍」発言は、深刻な飢饉の訪れを意味していたのでしょうか。 

 食糧不足が厳しさを増しているということは確かです。国際社会による制裁で貿易が激減している中、新型コロナウイルスの感染が世界的に広がり始めた昨年1月末から国境を封鎖しました。最大の貿易相手国でもある中国からの輸入も激減し、冷凍肉、食用油、ガソリン、医薬品も入らなくなりました。今は秋の収穫物の蓄えがなくなり、1年で一番苦しい時期です。ただ、発言は国民に対してではなく、党の末端組織の幹部たちに向けたもので、「人民に食糧が行き渡るように働け」という叱咤(しった)激励の意味合いが大きいと思います。

 ――1990年代には多くの餓死者が出たとされていますが、現在の食糧不足はどれくらい深刻なのでしょうか。

 そもそも、北朝鮮は農業に不向きな寒冷気候で、自給だけで食糧をまかなえる国ではありません。そこにきて90年代半ばは、北朝鮮にとってかつてない深刻な食糧難の時代でした。餓死者は三十数万人と推計されています。当時はソ連崩壊の直後で、東西冷戦の最前線に位置する北朝鮮がそれまで受けていたソ連、東欧諸国からの食糧援助が途絶えました。国際市場価格よりも有利な条件の貿易もなくなりました。当時は食糧の供給を国が徹底的に管理しており、国民が信じて待っていた食糧の配給が破綻(はたん)し、多くの人が餓死したのです。

 ――環境の激変があったわけですね。

 当時と今では、食糧難の苦しさの度合いは大きく変わっています。90年代に、どうにかして生き延びようとした人々の間で誕生したのが「市場(いちば)」です。戦後間もない日本でもあった闇市のようなもので、食糧や生活品を売買する場があちこちで生まれました。社会主義をうたう国は黙認を続け、現在は郊外部の山奥にまで、いたるところに市場があります。お金さえあれば、食糧を手に入れることができるように変わったのです。今後は封鎖した国境を少しずつ開き、今年中には国境封鎖前の貿易水準の半分くらいに戻るのではないかと思います。

 しかし、楽観はできません。不安感から需要が急激に高まれば食糧価格が高騰し、家庭に食糧が行き渡らない可能性も出てきます。貧窮の結果として餓死者も出てくるでしょう。慢性的な食糧不足で、貧困状態から抜け出す必要もあり、時間がかかります。

医師が貧困に陥りやすい国

 ――そもそも、北朝鮮の人々が普段口にしている食事とは、どのようなものなのですか。

 一般家庭の食事は、米、キムチ、汁、おかずのセットです。汁の味付けは、塩、ニンニク、唐辛子の粉、うまみ調味料です。裕福な家庭なら、汁には豚、鳥、牛などの肉が入り、海側の町では魚も入ります。お金がない家庭では肉が入らず、海辺なら海草の汁、内陸なら菜っ葉や小松菜、ホウレン草、山菜の汁です。だしは昆布や煮干しで取るので韓国とあまり変わらないですが、北朝鮮の方が味は淡泊です。野菜はナムルにして食べることが多く、もやしやにんじんなど畑でとれた作物が中心です。

 ただ、米は足りず、代わりにトウモロコシをよく食べています。あとはジャガイモですが、平地では主食として食べる文化はありません。バターや調味料で洋風にして食べる習慣もなく、ゆでたり焼いたりして食べるのが習慣です。汁に卵一つ落とせばぜいたくで、ごちそうといえば焼き肉です。ドングリの蒸留酒もあります。

 ――首都平壌には富裕な特権階級も暮らしていると思いますが、そうした人々の食事はどうですか。

 特に変わりませんが、平壌市民に人気があるのは、冷麺ですね。鶏、豚、牛の煮汁と、キムチ用の白菜を塩漬けしたトンチミの汁を一緒に混ぜて作ります。平壌市民が好きな冷麺屋の話をすれば1時間もたってしまうほどです。平壌市民には、国営冷麺店の予約券が時々回ってきます。一方、北朝鮮では経済格差も広がっています。公務員や教員、医療関係者には今も時々食糧の配給がありますが、不足しています。配給と給料で家族全員を養えるわけではなく、妻が市場で働く家庭が多いです。

 ――食糧不足は、長い目でみると、少しずつ改善してきているのでしょうか。

 金正恩体制になって以降、量についてはだいぶ改善されてきましたが、栄養価の問題にも直面しています。たんぱく質、ミネラル、繊維など、バランスよく食べられるようになるにはまだ時間がかかります。経済格差も拡大しています。実は、都市部の人の方が食糧不足に陥りやすいという側面もあります。農業生産者は食べるものに困りませんが、医師や教師、党の活動家などは給料が安く、少ない配給に頼りつつ、市場で食糧を買う必要があるからです。本業があるので市場で稼ぐこともできず、貧困に陥りやすいとみられています。

 ――農業生産は思うように発展していないのでしょうか。

 そもそも北朝鮮は朝鮮半島でも鉱工業が盛んな地域でしたが、寒冷な気候で農業には不向きなのです。山が約75%を占め、人口約2500万人分の食糧を自給するには、耕作面積があまりに少ないわけです。米は1年に1回しかとれず、二毛作はできても二期作はできません。それでも、南北分断以前は、農業が盛んな現在の韓国で米がとれました。それを輸出して、現在の中国東北部からアワ、ヒエなどを輸入して食糧を調達できていました。しかし、その状況は40年代の南北分断と、49年に現在の中国が建国されてから一変しました。中国も国内で食糧をまかなうようになったからです。ここに、北朝鮮の慢性的な食糧難の構造ができあがりました。

 ――となると、食糧は援助や輸入に頼ってきたのでしょうか。

 朝鮮戦争後の50年代は、中国とソ連からの援助が大きかったものの、60年代以降は社会主義陣営における中ソの路線対立のあおりを受けて、食糧援助は激減しました。軍事援助も減った一方で、冷戦下の国際情勢は緊張が高まり、北朝鮮は過大な国防費を投じる状況が現在まで続いています。国民生活を向上させることは二の次で、重工業を重視する政策に力を入れ続け、食糧難は深刻化していきました。このころから、食糧も含めて他国に頼らない「自力更生」の考え方を強調していくようになりました。

軍人が農村で草刈りに

 ――軍人が多く、農業などの人員不足も影響しているのでしょうか。

 北朝鮮はずっと人不足です…

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