ありがとう、街のおもちゃ屋さん 店長が選んだ最後の日

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山口啓太
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 子どもたちの夢の国でありたい――。そんな願いを店名に込めたおもちゃ屋さんが「こどもの日」の5日、64年の歴史に幕を下ろす。学校帰りの子どもたちでいつもにぎわっていた店も、時代の流れに逆らえなかった。

 「いま欲しい!」。4月下旬の夕方、東京都大田区のおもちゃ屋「青い鳥」で、男児が母親に電車のおもちゃをねだっていた。母親はしばらくして折れ、肩幅より大きな箱を抱えた男児と店を出て行った。「いいのがあってよかったね」。店長の柳田孝さん(62)は外まで見送った。

 京急空港線糀谷(こうじや)駅そばの糀谷商店街に1957年に開業した青い鳥。柳田さんも元は常連だった。小学生の時、月200円の小遣いを握りしめ、数百種類が並ぶプラモデルの前で何時間も過ごした。専門学校生だった20歳のころアルバイト店員となり、2年後、正社員として、子どもを迎える側になった。

 時は80年代。機動戦士ガンダムのプラモデル「ガンプラ」が入荷するなり、飛ぶように売れた。平日も週末も店内では子どもたちの話し声が絶えず、ファミリーコンピュータのソフトを求め、開店前に30人ほどの行列ができる日もあった。

 潮目が変わったのは、バブルの頃だったか。周辺の町工場が消え、跡地にマンションが建った。商店街を行き交う人は増えたのに、立ち止まって雑談に興じる人たちの姿を見かけなくなった。

 15年ほど前から、来店する子どもの数も減り始めた。放課後に寄り道する子が少なくなり、祖父母に連れられて来店する子もぐっと減った。仕入れ先の台東区の卸店4軒が立て続けに閉まったのも、この時期だった。数年前から増えたのが、店の価格表示とネット通販の価格をスマートフォンの画面で見比べ、買い物をせずに帰る親子の姿だ。プラレールやリカちゃん人形などの定番商品は売れ続ける一方、かつての主力だったプラモデルは、トレーディングカードやアニメのキャラクターグッズに取って代わられた。

 変わらなかったものもある。店を開けるなり飛び込んできた子どもたちが、お目当ての商品に目を輝かせる。お金を払う時、柳田さんに「ありがとう」と言って、宝物のように抱えて店を出て行く。店内に置いたゲーム機の周りで、年下の子を気にかけ、やり方を教える子どもの姿も、ほほえましかった。

 「人の心の芯の部分を、おもちゃは育ててくれる。感情を豊かにし、感謝の気持ちを教え、人間関係を育ててくれる。子どもの幸せに貢献できる喜びがあったから、ここまでできたんだと思います」

 経営難が続く中、コロナ禍が追い打ちをかけた。もう無理だと思ったが、子どものための店だから、こどもの日までやろうと決めた。閉店を発表した今年4月以降、店には普段の10倍近い客が訪れる。かつての常連が親となり、子を連れてきた。「昔に戻ったみたい。いつもこれくらい来てくれたら、まだできたのになぁ」。柳田さんは冗談交じりに笑って、少し寂しそうに遠くを見つめた。

業界全体、実は堅調

 経済産業省などの統計では…

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