普天間、本気の議論なぜない 元校長の感じた変化と諦め

聞き手=国吉美香
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 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の隣にある小学校の校庭に、2017年、米軍ヘリの窓が落下した。事故後に校長を務めた桃原修さん(61)の父は、日米が普天間の全面返還を発表した当時の宜野湾市長だった。25年経ち、普天間は動いていないが、桃原さんには感じとれる変化があるという。

 おやじは25年前、米軍普天間飛行場の全面返還が日米から発表されたときの宜野湾市長です。返還が発表されたとき、ビールで祝杯をあげていました。「苦労が報われた」と。

 ところがその数カ月後、返還は県内の移設条件付きだと日米が結論付け、「またか」と絶句していました。基地が身近にある苦労を知っているから、なぜ沖縄ばかりに基地が押しつけられているのかと思ったんでしょう。

 私はその普天間飛行場と隣接する、普天間第二小に校長として勤務しました。おやじが政治家として向き合い、元教員だったお袋も定年退職を迎えた学校です。赴任の希望を出した後、米軍ヘリの窓が校庭に落ちる事故が起きました。運命だと思って、覚悟を決めて赴任しました。

 事故のショックで校庭にでられない先生もいたし、私が報道の取材に答えてテレビに流れると、「そんな危険な状況で子どもたちを遊ばせているなんて、頭がおかしい」と中傷もたくさん来ました。何よりも子どもたちのことが気になり、普通の生活を取り戻すことを目指しました。

 25年が経ち、普天間飛行場の機能は強化されていると感じます。騒音もひどくなり、夜中に轟音(ごうおん)がしたり、長い時間ホバリングしていたりするときもある。私は軍事戦略はわかりませんし、専門家ではないですが、住んでいると、生活の中で国際情勢を肌で感じることがあるんです。

 25年前、おやじが喜んだように、私も返還されるんだって、本当に思いました。でも、あれ以来、心底返還を信じたことはないんです。沖縄では大学にヘリが落ちて、普天間第二小に窓が落ちました。でも、変わっていませんよね。「沖縄は大変だね」と言うなら、なぜ本気で県外移設の議論がされないんでしょうか。(聞き手=国吉美香)

 とうばる・おさむ 1959年生まれ。沖縄県宜野湾市出身。桃原正賢元宜野湾市長(故人)の次男。2017年12月に発生した普天間第二小学校への米軍ヘリの窓枠落下事故後、18年4月に同小に校長として赴任し、20年3月に定年退職。同年12月からは市教育委員を務める。