日本語分からず叱られて…元大関・琴欧洲はこう勉強した

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聞き手・笠原真
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 日本古来の競技であり、伝統文化でもある相撲では、外国出身力士が活躍する姿がすっかり定着しました。「琴欧洲」のしこ名で大関にまで上り詰めた現・鳴戸親方(38)もその一人です。19歳でブルガリアから来日し、欧州出身者として初めて幕内優勝を果たしました。今や日本語も堪能になり、2014年には日本国籍も取得しましたが、来日当初の時期は「思い出したくないほどしんどかった」と振り返ります。相撲部屋での生活の中、最初は一言も理解できなかったという日本語をどうやって身につけ、番付も上げていったのでしょうか。電話取材で聞きました。

鳴戸勝紀(なると・かつのり)

 本名は安藤カロヤン。1983年、ブルガリア生まれ。レスリングの欧州ジュニア王者に輝いた後、19歳で来日し、佐渡ケ嶽部屋に入門。2006年に「琴欧州」から「琴欧洲」に改名。08年夏場所、幕内初優勝を果たした。14年に日本国籍を取得した。現在は鳴戸部屋の親方として15人の弟子を指導している。

 ――鳴戸親方は19歳で日本に来ました。初めての日本に不安はありませんでしたか?

 「本当に不安だらけでした。日本のこともよくわからないし、相撲界のこともよくわからない。もちろん日本語も全くわからないので、教えてもらったことを理解できないし、何を言ってもわかってもらえない。自分が相撲界で生きていけるのかどうか、不安でいっぱいでした」

 ――戸惑うことも多かったのではないですか。

 「ヨーロッパにはない、相撲界の伝統や文化に慣れることも苦労しました。一番つらかったのは、日本に来て最初の1年半ほど経験した付け人の時期です。関取の身の回りの世話をして、まわしを締めたり、掃除や洗濯をしたり、買い物なども指示されるのですが、最初は何を頼まれているのかもわかりません。指示とは違うことをしてしまうときつくしかられてしまいました。次に同じことを言われたら間違えないようにするしかなかった。言葉の面も含めて、周りとは関係が対等じゃないんだなと思いました。思い出すのもつらいくらいですね」

相撲部屋は「食うか食われるか」

 ――ホームシックになることもあったのですか。

 「もう、それは毎日ですね。ブルガリアの体育大学を中退して日本に来たのですが、母国では大学の同期が楽しくやっているのに、『私はなぜ日本でこんなことをしなきゃいけないんだ』と最初のうちは思っていました。でも気持ちを割り切ってからは楽になりました。そう思えるまでには2~3カ月はかかりました」

 ――どのように気持ちを割り切ったのでしょう。

 「相撲部屋はジャングルのよ…

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