南方の日本兵、石仏に重ね 祈りの画家、半生の回顧展

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高木智子
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 海辺のアトリエで、石仏を描くことが生きがいの画家がいた。「五百羅漢」とよばれる謎めいた石仏にみせられ、小さな島を抜け出し、スケッチ帳に鉛筆を走らせた。「石仏の顔が、あのとき見た顔と重なる。祈りをこめて描いている」。生前、そう語っていた。

 昨夏、93歳で亡くなった清志初男さん。鹿児島県奄美大島に生まれた。船乗りにあこがれ、16歳で神戸の海運会社に就職した。

 時は太平洋戦争中。ほどなく旧日本軍に徴用された輸送船で、南方の島々に物資を運ぶことになった。

 激戦地ニューギニア。痩せて真っ黒に日焼けした日本兵が目をギラギラさせて先を争い、食糧を降ろす清志さんに抱きついてきた。

 「あまりの勢いで怖かったよ。みんなぼろぼろの格好で、腹をすかせていてね。痛いくらい、ぎゅっと。むせび泣いて、ありがとう、帰りたい……と言葉にならない声だったよ」

 任務を終え、日本に戻る輸送船を、島に残される兵士が見つめていた。南方の日本兵の多くが餓死した。

 清志さんの人生も暗転した…

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