角野栄子、フェイスブックで再会した少年…彼女はどこ?

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聞き手・松本紗知
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 Zoomを使いこなし、インスタグラムのフォロワーは4万人以上。「あらかじめ」という言葉が嫌いだという児童文学作家・角野栄子さんは、be動詞+~ingの「現在進行形」に憧れ、その生き方を続けてきました。

 《2015年の『トンネルの森 1945』で、初めて戦争を題材にした》

 『魔女の宅急便』のあと、母を書き、ブラジルを書きましたが、「戦争のことをまだ書いていない」と思った。いつか書きたいと思っていたんですが、とても難しくて……。というのは、戦後の人の目から見た戦争は、書きたくなかったんです。

 今の時代の私が書くと、平和はいいとか、民主主義とか、いろいろ書きたくなると思うのね。でもそれは、ちょっと違うと思った。そういう書き方はあるだろうけど、私はそうはしたくなかった。

 だから、10歳の子どもの視点から離れず、その子が翻弄(ほんろう)された戦争というものを書こうとしました。

 《太平洋戦争のさなか、幼くして母を亡くした少女イコは、父の再婚相手とともに疎開する。家のそばには暗い森のトンネルがあり……。物語には終戦時に10歳だった自身の体験が反映されている》

拡大する写真・図版近所のお気に入りのカフェの前で=神奈川県鎌倉市、伊藤進之介撮影

 1945年の東京大空襲後に、私は千葉県に疎開しました。食べる物がなくて、親戚もいないから、村の人に着物と食べ物を交換してもらって。本に書いたような暮らしをしていました。

 その家の近くには、うっそうとした森があって、そこを通って学校に行くのがすごく怖かった。「トンネルの森」は、その森のことなんです。

 主人公は疎開先の言葉を一生懸命話そうとしますが、私もやりましたよ。「そうよ」とか「そうだわ」って言うと、クラスの人たちがいっせいに笑うんです。「わたし」もだめ。女の子でも「おれ」でしたから。

 私は小さいころから、すごく泣き虫だったのね。だから疎開したときに「ここで変わらないと、私は変われない」と思った。なるべく泣かないようにして、人と仲良くして、勉強もしようと思って過ごしました。

 ずいぶん窮屈な思いもしたけれど、戦争を体験したからこそ、自分で選び、自分で表現する「自由」が、とても大事だと思うんです。

「あなたがいないサンパウロはつまらない」

 《20年以上書いてきた『魔女の宅急便』が6巻で一段落し、次に書こうと思った長編は、5歳の時に亡くした自身の母の話だった》

 岡山県の和気(わけ)町に、母の実家があったんですね。十数年前に、友人との旅行で近くを通ったときに、「ちょっと行ってみようか」と、訪ねてみたことがありました。

 母の旧姓と、吉井川のそばで船宿をしていたことは知っていて、そのことを頼りにたどり着けたんです。

 家も残っていて「子どものころのお母さんは、この玄関を出たり入ったりしてたのかな」と、想像がふくらみました。それが『ラストラン』(2011年)の物語のもとになりました。

 《74歳のイコさんは、母の生家を訪ねて東京から岡山までバイクの旅に出る。その家で、幽霊だという少女時代の母に出会い……》

 家に行くところまでは考えて書き始めたけれど、その先は考えていなかった。書くなかで自分が母の生家を見たときに想像したことを思い出して、子ども時代の母が出てくる話にしようと思った。結末も、後半になってがらっと変わりました。

 《『ナーダという名の少女』(14年)は、ブラジルで出会った女性との思い出をもとに書いた》

 ブラジル時代の友人に、クラリッセという女性がいました。サンパウロの映画館で、たしか黒澤映画が上映されていて、彼女の方から私に話しかけてきた。

 たばこを吸って、ものすごい…

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