日本人墓地がSNS映えスポットに 娼婦や軍人眠る花園

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シンガポール=西村宏治
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 シンガポール中心部から車で約30分。しゃれた一軒家が並ぶ高級住宅街の一角に「日本人墓地公園」がある。130年前に開かれ、戦前のシンガポールに暮らした日本人が眠る墓地だ。いまでは花が咲き乱れる公園となっていて、SNS向けの撮影スポットとしても人気が高い。コロナ禍で旅行ができないなか、「日本を感じられる場所」として地元のひとたちにも注目されている。

記事後段では、墓地を守り継いできた中華系の家族やインドのひとの物語も紹介します。

 アーチに植えられたピンク色のブーゲンビリアが、目に鮮やかだ。数人のグループが次々とやってきては、ポーズを決めて写真に納まる。

 4月10日、墓地公園には多くの地元のひとたちが訪れていた。近くに住む会社員のケリー・リムさんとミシェル・リーさんは「ちょうどブーゲンビリアがきれいなので、写真を撮りに来ました」。ふたりは20代。リーさんは14年に日本を旅したときに買った浴衣を着てきた。「コロナで日本旅行にも行けませんから」。リムさんが言った。

からゆきさん、商社員、そして戦争

 もともと日本人墓地だったこの場所は1973年に現地政府が埋葬を禁止。1987年以降は、維持管理を担うシンガポール日本人会が公園として整備を進めてきた。

 土地の少ないシンガポールでは、各地の墓地も高層住宅や商業ビルなどに再開発されてきた。日本人墓地も1989年に接収されることになったが、日本大使館が交渉し、日本人会への30年のリースで合意。2019年にさらに20年の延長も認められた。

 元日本人会事務局長で墓地公園の歴史に詳しい杉野一夫さん(72)は「地元のみなさんに開かれた公園として公共の目的があり、きちんと管理されていることが、存続につながった」と振り返る。「明治以降、南洋に挑んだ多くの日本人の歴史が残る場所。日本とシンガポールとの友好のシンボルでもあると思っています」

 墓地が当時の英国の植民地政府に登録されたのは1891(明治24)年7月。ちょうど130年前だ。その数年前から、この地でゴム園や雑貨商、娼館(しょうかん)などを手がけていた経営者たちが設立に動いていた。

 世界の貿易拠点だったシンガポール。日本からは、いちはやく料亭や娼館が進出した。

 そこで働いたひとたちは、後に「からゆきさん」として知られるようになった。日本人会がまとめた「シンガポール日本人社会百年史」によると、1902(明治35)年には伎楼(ぎろう)が82軒あり、娼婦(しょうふ)は811人。一時は1千人を超えたとみられている。貧しい家庭の出身者が多く、若くして亡くなるひともいた。

 墓地公園には、最も古いもの…

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