軍事的緊張か交流か 5世紀の東アジアを語る2大古墳群

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編集委員・中村俊介
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 「百舌鳥(もず)・古市古墳群」がユネスコ国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録されて、この夏で2年を迎える。5世紀の大阪平野に出現した国内屈指の二大古墳群には、かつて日本列島に君臨した「倭(わ)の五王」が眠るという。今なお謎に包まれた巨大古墳の世紀を、古代東アジアの視点から眺めたい。

 4月、国際シンポジウム「5世紀の倭と東アジア」が百舌鳥古墳群のおひざ元、堺市で開かれ、日韓両国の研究者が当時の国際情勢に迫った。斬新な視点が披露される一方で、課題も浮かびあがった。

 百舌鳥古墳群と古市古墳群(大阪府羽曳野市藤井寺市)に、大山(だいせん)古墳(伝仁徳天皇陵)や誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(伝応神天皇陵)といった巨大古墳が相次いで築かれた5世紀。倭国と呼ばれた日本列島を統べる5人の大王が盛んに中国南朝と外交を繰り広げたと、中国の史書『宋書』は書き残す。讃(さん)・珍・済・興・武と呼ばれた彼らがそれぞれ『日本書紀』に登場する歴代天皇の誰に当たるかは諸説あるが、最後の武が雄略大王なのは研究者間でほぼ一致する。時間的に重なる「百舌鳥・古市」に5人のうちの誰かが葬られている可能性は高い。

 「百舌鳥・古市」を語るとき、古墳群の中でも威容を誇る盟主的な古墳の巨大さばかりが注目されがちだ。しかし、国立歴史民俗博物館の松木武彦教授はむしろ両古墳群を貫く「階層性」に着目して意義を問い直した。大小様々、前方後円墳もあれば円墳も方墳もあるバラエティーの豊かさと、それらが形作る序列関係こそ、王のみが突出して大ピラミッドを築いた古代エジプト文明などと大きく異なるところ、というのだ。

 「5世紀は倭が国際社会に入っていった時代。(親交があった朝鮮半島西部の)百済には倭国の軍事力の援助が期待され、列島に男系の軍事氏族が生まれた。その“2大元締”が百舌鳥と古市の両勢力だったのではないか。中国への使いの派遣にも、そんな背景があったのだろう」

 なるほど、「百舌鳥・古市」とその周辺の黒姫山古墳や野中古墳からはおびただしい甲冑(かっちゅう)が出土し、軍事的な色合いが濃厚だ。東アジア情勢の緊張が五王の遣使(けんし)の引き金となったとしてもおかしくはない。

 一方で、「倭にとって新羅は…

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