忘れられない遺族の叫び声 山岳救助隊長が伝えたいこと

聞き手・高億翔
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 大型連休中(4月29日~5月9日)に長野県内の北アルプスなどで相次いだ山岳遭難で救助にあたった長野県警の山岳遭難救助隊。新隊長に3月就任した岸本俊朗氏(43)に、常駐した穂高連峰の登山基地の涸沢(からさわ)で救助隊の役割や安全登山の心構えなどについて聞いた。「遺族の泣き叫ぶ声が忘れられない」と回想し、山岳救助への使命感を口にした。

 ――3月に長野県警山岳遭難救助隊の隊長に任命されました

 今は山岳安全対策課の課長補佐を兼務しています。通算12年、救助隊勤務です。大きな責任を抱え、身が引き締まる思いです。

 ――救助隊員に求めるものは

 「救助」という目線を持ちながら登ることが重要です。救急車が入れる箇所や、ヘリコプターのピックアップ地点を知らないと現場で判断や指示ができない。遭難現場がわかった時に、「樹林帯だな」とか「ガレ場(石や岩が堆積〈たいせき〉して歩きにくい場所)だ」と、イメージが湧くかどうかも重要です。過酷な現場では、背負い搬送など人力に頼ることになります。体力的に劣れば全体のブレーキになりかねません。

 ――隊長の役割は

 安全を整えて訓練しやすい環境をこれまで以上に作りたいです。日没後の救助では、すぐ救助すべきか、朝まで待つのか、冷静な判断が必要です。迷った場合は私が決めます。的確な助言や判断で隊員を楽にできたらと思っています。

 ――登山との出会いは

 信州大学の山岳会時代です。千葉県野田市出身で、埼玉県の高校に通いました。大学は自然が豊かなところがいいなと思い、信大を受験し、勧誘された山岳会に入りました。以降は登山に熱中しました。

 ――救助隊員を志した経緯を教えてください

 警察官になったのは26歳のころ。大学卒業後は、欧州アルプスに登りたかったので、定期的に長期休みが取れる県内の日本語学校に就職したんです。社会人1年目の夏、山仲間とグランドジョラス(フランスイタリアの国境)の北壁に登ろうとして失敗し、ヘリで救助されました。その際のレスキュー隊員の手際の良い姿が、今も目に焼き付いています。

 ――それが警察官になるきっかけに

 「社会のために貢献したいな」という気持ちも抱えていました。若いうちに体を張る職業に就きたくて警察官になり、救助隊を志望しました。29歳のころ、機動隊に異動するタイミングで、救助隊員になることができました。

 ――多忙なことも増えたのでは

 松本署の班長だった2013年、14年は管内での遭難事故が極端に多かった覚えがあります。当時は隊員が今より3人少なく、管内で計5人。休みの日も救助に向かう日々でしたが、リーダーとして判断する経験をたくさん積みました。

 ――つらい場面に遭遇することも多いのでは

 ご遺族の対面に立ち会うのはつらいです。包帯が巻かれ、損傷が激しい夫のご遺体に対面した奥さんや息子さんがいました。後ろ姿や、泣き叫ぶ声が忘れられません。楽しいはずの登山が一瞬で暗転し、ショックが非常に大きいのです。遺族を見ると、「遭難は減らさないといけないな」とつくづく思います。

 ――最近の登山者の傾向は

 好条件しか想定していない人が多いです。山の難易度は天気や視界でも変わります。「日帰り」と決め込んで装備が不十分な人も。ヘッドライトや予備バッテリーがないと、もしもの時に捜索が難航します。雨具を持っていない人もいます。具体的な行き先を家族に伝えることも大切です。

 ――登山者に伝えたいことは

 観光的な側面ばかりが注目されがちですが、登山の本質はスポーツと冒険です。スポーツは苦しさを、冒険は危険を伴います。少し不安な気持ちを持って、相応の準備をしていただければと思います。(聞き手・高億翔)

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 きしもと・しゅんろう 1978年、千葉県野田市出身。2004年に長野県警警察官に採用。諏訪署、松本署などを経て17年に山岳遭難救助隊副隊長。今年3月、同隊長に就任。