「沖縄、静かな環境つくり米と協議を」 岡田克也元外相

河口健太郎
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 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の返還合意から14年目の夏。民主党の鳩山由紀夫代表が発した「最低でも県外」の言葉をきっかけに、移設計画は改めて問われた。迷走、そして現行案への回帰。岡田克也元外相(67)が感じた「壁」とは何だったのか。

 鳩山代表の「最低でも県外」は衆院選の直前、それも沖縄での発言でした。当時、幹事長だった私は「何で言うんだ」と頭を抱えました。衆院選マニフェストにはあえて「普天間」を書かなかった。政権交代目前ですから、できない恐れがあることは書かないようにしよう、と考えたからです。社民党国民新党との連立合意にも書きませんでした。でも、鳩山総理が「あのきれいな海が」とか、踏み込んじゃう。沖縄に大きな基地は二つもいらない、という思いはそれだけ強かったんでしょう。

 実現可能な移設計画につながる手がかりとなる意見は、本土のどこからも上がりませんでした。具体案がないのなら、問題を長引かせるべきではないと考えるようになりました。時間が経過するほど沖縄で県外移設の期待感が高まり、迷宮に入ってしまうからです。

 「県外」という流れを変えようと思い、嘉手納基地への統合案に言及したこともありましたが、混乱を招いてしまいました。2009年の11月下旬くらいには「元の案に戻るしかない」と。鳩山政権が米政府から厳しい見方をされるようなことは避けるべきだと考えました。県外移設に期待してくれた県民に申し訳ないと思っています。

 いまも沖縄の人たちには『なぜ自分たちだけが負担を負わされるのか』という気持ちが沸々としてある。一方で、まったく無関心な沖縄以外の多くの日本人がいる。この構図を変えないと、根本的な解決にはならないでしょう。

 辺野古移設なしで、日本のどこかに持っていくという可能性もほとんどないと思います。ただ、このままどんどん埋め立てをしていくとなれば、亀裂は癒やされることなく、沖縄と沖縄以外の本土の分断が進んでしまう。まずは、工事を中断し、沖縄の人々の不信感を取り除くことです。静かな環境をつくったうえで、米政府と協議を始めることが必要だと思います。仮に時間がかかったとしても、です。(河口健太郎)

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 おかだ・かつや 1953年、三重県生まれ。90年に衆院初当選。当選10回。民主党や民進党で代表など主要ポストを歴任した。外相時代は、外交文書の公開を推進。野田内閣の副総理として、消費増税実現の調整に当たった。現在は立憲民主党の常任顧問。