キャバレーで磨いた漫談、司会者夢見て 綾小路きみまろ

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宮田富士男
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(わたしの折々のことば)綾小路きみまろさん

 中高年の悲哀を毒舌で表現し、笑いを誘う漫談家の綾小路きみまろさん。鹿児島県松山町(現志布志市)で生まれ、「東京で司会者になりたい」と夢を抱くように。友達からは「バカじゃないか」と笑われた少年が、人気者になるまでの人生で転機となった言葉とそのエピソードを紹介します。

写真・図版
綾小路きみまろさん=東京都杉並区、伊藤進之介撮影

これで最後だ。あとは自分の力でやれ(父からのはなむけの言葉)

《司会者になりたいという夢を抱いた少年は1969年春、鹿児島の高校を卒業して東京へ旅立つ。とはいえ、つては何もなく、とりあえず新聞販売所に住み込みで働くことに。東京まで27時間かかる夜行列車に乗り込む息子に、父は餞別(せんべつ)として1万円を渡し、励ました。》

     ◇

 「今日おいで下さったほとんどの方が昭和を生き抜いた中高年の皆さんです」

 「太い体で細々と生きていらっしゃいます」

 「長生きしたくないといいながら酒もたばこもやめて医者通いをしています」

 言葉遣いは丁寧だが中高年の実態に鋭く切り込む毒舌漫談で一世を風靡(ふうび)した。

 トレードマークの赤いモーニングに派手な扇子、後頭部で髪を束ねたヘアスタイルで全国を公演して回る。漫談家、綾小路きみまろさん(70)は「中高年のアイドル」と呼ばれる。

 高校を卒業するまで鹿児島県東部の松山町(現志布志市)で育った。畜産や野菜栽培が盛んな農村だ。両親と弟の4人家族。父は農業の傍ら農耕馬の種付けで生計を立てていた。トラクターの普及で農耕馬が不要になってからは牛の繁殖に切りかえた。

 「父はやさしかったですね」。怒られたことも殴られたこともほとんどなかった。そして何よりも「自由奔放」だった。

 父は陸軍に召集されて中国大陸で敗戦。1950年に発足した警察予備隊や自衛隊に幹部として入隊を誘われたが断ったらしい。「人に使われるのが嫌になっていたからでしょう」

 自分が育てた種馬が自慢のようで、その大きな種馬に乗って色んな所へ出かけていた。小学校の授業参観にも馬でやってきた。「そのせいで私も弟もあだ名が『種馬』でした」と笑う。

 尋常小学校しか出ていないが読み書きが得意。弁も立ち町議選で応援演説をした。近所の人に頼まれて手紙の代筆もしていた。

《上京した1年後、私立大に入学。年に数回の休刊日以外は朝夕刊を配達し、大学に通った。あるとき配達先の病院に入院していたキャバレーの営業部長と知り合った》《ツービートに言葉をかけられた。「同時代を生きた男としてあなたを誇りに思う」》きみまろさんの物語は進みます。

 きみまろさんが中学を卒業し…

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