「教育現場を変えたい」 流産した元教諭は司法に訴えた

西晃奈
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 やっと出会えた三男はしかめっ面だった。全身はうっ血して真っ黒。翌日には穏やかな表情になり、体はほんのりと赤みを帯びた。「すごく、すごく可愛かった」。2017年8月末、ある元教諭の女性が流産した。当時42歳。広島県北広島町の小学校でクラスの担任を務めていた。子どもの死をなかったことにしたくない。何より、「教員現場を変えたい」。その思いで裁判所の門をたたいた。女性の訴えは退けられたが、裁判所は校長が女性に休みを促すなどの義務を「怠った」と指摘した。(西晃奈)

 妊娠が分かったのは6月末だった。上の2人は息子。今度も「多分男じゃろうね」と夫にメールした。「女の子だったらいいね」と夫から返信があった。

 そのとき夫には伝えなかったが、出血があり、切迫流産(流産の可能性が通常より高い状態)だと診断されていた。妊娠8週。安静にするよう指示された。

 普段から仕事が忙しく、1日12時間以上働く日もあった。長男を妊娠した際は「他の先生も頑張っている。少々のことで休んじゃいけん」と家庭訪問を休まず、つわりに苦しんだ。1学期は残り1カ月弱。夏休みまで乗り切ろうと考えた。妊娠し出血があると校長に報告し、2学期から休みたいので代わりの教員をお願いしたいと伝えた。

 出血は7月に入っても続いた。土曜日の8日、診療所を受診した。赤ちゃんの発育は正常だったが、子宮内に血腫があった。「2学期からではなく今すぐ休むべきだ」と医師は言った。

 休めと言われても、代わりの教員はすぐに来ない。週明けの10日、「医師から今すぐ休むべきだと言われた」と校長に報告し、こう要望した。「座って授業をさせてほしい。午後から休みをもらうようにしたい」

 校長はいずれも了承したが、代わりに誰が授業するか説明はなかった。女性は午後も働き続け、体育の準備運動でジャンプもした。女性が午後も働く姿を校長も見ていたが、休むよう促されることはなかった。

 20日の終業式後、休み始めた。出血は続き、つわりがひどく何度も嘔吐(おうと)した。

 8月24日の深夜、破水した。病院に向かう車の中で血が流れる。運転席の夫は泣いていた。いつもなら「赤ちゃん元気ですよ」と声をかけてくれる医師は、黙っていた。診断書のメモが見えた。「妊娠16週 完全破水」

 破水しても赤ちゃんの心臓は動いていた。「一生懸命、生きようとしているんだ」。数日たっても赤ちゃんは出てこず、薬を飲んで流産した。長男と次男が「いっしょだからね」と書いた手紙を入れて、流産した赤ちゃんを火葬した。小さな鎖骨が残った。「私のせいで死んだ」。1カ月近く泣き続けた。夫は「自分の仕事中に自殺しないか心配だった」。だが、クラス担任の代わりが決まっていないと聞いた。「自分の子どもが困っているようなものだから」。11月末に復職した。

 休みたくても休めない学校現場を、何とかして変えたい。こんな思いをする先生をもう出したくない。

 女性は裁判を起こした。

「休み」促し環境整える義務 判決受け町教委が注意喚起

 女性は17年11月、切迫流産の診断を受けた後も校長から休みを与えられず、体育などの過重な授業を余儀なくさせられたことが流産につながったとして、北広島町に損害賠償を求める訴訟を広島地裁に起こした。

 判決は20年6月に出た。勤務を続けたことが流産の原因になったかどうか「的確な証拠がない」として、女性の訴えは退けられた。だが、判決は、校長が女性に休むよう促し、休まない場合は体育の授業の担当を替えるなどの「負担を軽減させる措置を講ずべき注意義務を負っていた」とした。さらに、女性が休みやすいように他の教員に事情を説明して協力を求め、教員の補強計画を作るといった「休暇の取得をしやすい職場環境を整えるべき注意義務を負っていた」とも指摘。校長がこれらの義務を「怠った」と指摘した。

 判決後、北広島町教委はその内容を町内の校長に伝え、注意を促した。「流産されたことは残念。引き続き教員が働きやすい環境をつくる」と担当者は話す。

 県教委には、つわりなどがある女性教職員が「妊娠障害休暇」を取れる制度がある。だが、「産休などの長期休みは臨時教員を置くが、短い休み中に臨時の教員をつける制度はない。現場でやり繰りしてもらうしかない」(担当者)という。

 女性は2年間、気分障害で休職した末、20年7月に退職した。「制度があっても、利用しやすい環境でないと休めない」と話す。成績表もできていない状況で、代わりの教員もいなかった。「裁判には勝てなかったが、妊婦の働く環境が少しでも改善され、一人でも多くの赤ちゃんの命を助けることができたなら、それが、あの子の生きた証しになる」