「野球やめたい」佐々木朗希、体作り耐えた我慢強さの源

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室田賢
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 岩手・大船渡高時代に最速163キロを計測したプロ野球ロッテの2年目・佐々木朗希(19)が16日の西武戦(ゾゾマリンスタジアム)で、ついに1軍デビューを迎える。プロ入り後の1年間は投げたい気持ちを抑えて、体作りに専念してきた。その心の強さの原点は中学時代にあった。

 病院の待合室で、当時14歳の少年はボロボロと涙をこぼした。

 「このまま野球を続けると、神経にしびれが出て、障害が残るかもしれない」

 佐々木朗が医師の診断を伝え聞いたのは、中学3年になる直前のころだった。

 腰のけがに苦しんでいた。大谷翔平(エンゼルス)も岩手・花巻東高時代に通院したという青森県内の病院まで、車で片道4時間かけて通った。

 当時は岩手・大船渡市立第一中野球部としての最後の大会まで残り数カ月だった。友達と過ごす時間も残り少ない中で、野球部を指導していた鈴木賢太さん(32)は当時、医師から判断を託された。

 「病院の先生からは『だましだましでは投げられるし、大会で勝てるかもしれない。でも、けがが治ったら、もっとすごい選手になる可能性がある』と言われた」

 これからをとるか、今をとるか。鈴木さんからリハビリに専念するように勧められた佐々木朗は、泣きながらうなずいた。

 それから約3カ月間、他の部員とは別メニューをこなした。体幹を鍛えるトレーニング、肩甲骨股関節の可動域を広げるストレッチ

 心が折れかけたこともあった。

 周りの部員が「夢はプロ野球…

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