「衣装」は着ない Rキャンベルさんが求める愛と好奇心

有料会員記事ファッション

聞き手 編集委員・後藤洋平
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 ファッションの取材を続けていると、言論人がテレビに出演する際や、雑誌のインタビュー時の装いをみて「この人は本当に服が好きなのだな」「スタイリストが選んだ服ではなく、自分自身で選んで着ているに違いない」と確信することがある。日本文学研究者のロバート・キャンベルさんは、その筆頭格だ。

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ドリス・ヴァン・ノッテン2021年春夏コレクションのセットアップに、アルベール・エルバスが手がけていた時代のランバンのシューズを合わせたロバート・キャンベルさん=山本倫子撮影

 人柄に沿った柔らかな印象の服、一方で時には多くの人が「無難」とは受け取らないであろう服をまとって、カメラや人々の前に立ち続けている。聞くと「自分にエネルギーを与える服」を選んでいるといい、ほかの多くの人にも「自分の活動を上のステージに押し上げるために、愛と好奇心を持って服を着て欲しい」と語った。

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スタイリストはつけない

 おっしゃるとおり、私はテレビ出演の際、スタイリストをつけることは、ほぼ皆無です。職業としての技量や感性は尊敬していますが、準備される服は限られたスタイリストを除いて、ほとんどがレンタルの服というのが現状で、しかも出演日の数日前に借りてきた服になってしまうのです。

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服について熱く語るロバート・キャンベルさん。記者も夢中になり、気づくと予定されていた取材時間を大幅にオーバーしていた=山本倫子撮影

 収録でもそうですが、特に生放送の情報番組では、その日にどんなテーマになるのかはギリギリまで決まりません。そうすると何日も前に選んだ服は、食べ物に例えると「冷え切ったピザ」になりかねないのです。

 テレビ出演がある時は、前夜に服装を考えることが多いのですが、朝になって「いや、やっぱりもっとカッチリしたものがいい」とか「柔らかいイメージがいい」などと考え直して、変更することもあります。自分の持っている服であれば、そうした急な対応であっても直前に決められるわけです。

 私は文学を研究してきましたから、自分の立場や意見、思考を表現する際にはもちろん最初に言葉を尽くそうと思います。しかし、映像をともなって、または対面で人と渡り合う、あるいはリモート会議などでやりとりする場合、自分のしぐさや表情と同時に、服装を含めた全体として認識されることがとても多いと感じています。

服選びのボーダーは揺るやかに

 10年ほど前、山手線に乗っていると目の前に若い女性が2人いて、顔を上げると会釈してくれて「キャンベルさんですよね」と声をかけられました。「いつも見ています」と言われたので、「テレビで僕、変なこと言ってなかった?」と聞いたら、間髪を入れずに「いや、画像として認識しているから、お話された内容は覚えてないんです」と返ってきました。

 くさびを打ち込まれたね。何を言うかではなく、そう認識しているのだと屈託なくおっしゃった。ああ、そうなんだ、と。伝える内容、そのトーン、テンポなどと同様に、どういう装いをしているかも含めて、同じように伝わったり、あるいは曲解されたりするんだなと痛感したのです。これは自分自身を「メディア」として捉える、一つのきっかけになりました。

 そして、自分が気持ちよく相手と渡り合える、カメラが回っている時に与えられたタスクを達成するためにエネルギーになるような、プラスになれるような装いをしていたい。自分を「パッケージ」だとは考えないけれど、言葉だけで内容を伝える存在とも違うので、とても重要なことだと思いました。

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「グッチは昔から構築的なシルエットで好きだったが、アレッサンドロ・ミケーレがデザイナーになって一層魅力的になった」と語ったロバート・キャンベルさん=山本倫子撮影

 コメントする内容も、単調にはなりたくない。そして、相手の期待を時々裏切りたい。「キャンベルはすごくおだやかで、優しい人だ」と言われることが多いのですが、時にはものすごくヘビーメタルな感じや、一刀両断で「ここはズバッと言わないといけない」という時には、おそらく柔らかい印象の服は着ていないでしょう

 時々、「これはキャンベルさ…

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