第5回K-POP大好き僧侶が語る 日韓交流が生んだ化学反応

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大部俊哉
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 世界のトレンドをいち早く取り入れた音楽性やアーティストのキャラクター性を武器に、K-POPは世界へと広がった。それには「日韓交流が大きな役割を果たしてきた」と語るのは、佛教大総合研究所嘱託研究員の山本浄邦(じょうほう)さんだ。浄土真宗本願寺派の僧侶でK-POP研究者という経歴を持ち、「韓流・日流 東アジア文化交流の時代」などの著書もある。かつて韓国のアイドルグループ「少女時代」のツアーを「全通」し、現在も韓国の音楽番組を毎週チェックするほど熱心なK-POPファンでもある山本さんに、K-POPの歩みとこれからについて語ってもらった。

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日本でのK-POPブームと日韓交流 デザイン・福宮千秋

――山本さんと韓国音楽との出会いは?

 「私が韓国のポップミュージックに出会ったのは、大学生だった1990年代の半ばごろでした。夏休みに韓国に旅行した時に音楽を聴いて、面白いなと思ったことがきっかけでファンになりました。当時はK-POPという言葉はなく、2003年にドラマ『冬のソナタ』が大ヒットして韓流ブームが来てからも、しばらくは韓国の音楽は日本で広く親しまれてはいませんでした」

 「01年から(女性ソロシンガーの)BoAさんが日本で活躍していましたが、『韓国人がJ-POPを歌っている』という感覚で聴いていた人が多く、BoAさんの韓国語の歌を聴く人はファンでさえ少なかったですね。しかし10年ごろになって突然、少女時代や(同じく女性アイドルグループの)『KARA』によってK-POPブームが起こり、それまでとのギャップに驚きました。『この文化現象はいったい何なんだ』と、研究対象として興味を持つようになりました」

――元々専門で研究していたわけではないのですね。

 「大学の学部時代は仏教を学び、卒業後は僧侶として寺に入っていました。お寺の仕事をしながら30代半ばだった09年から大学院に通い始めたんですが、ちょうど院生の時代にK-POPブームが来たんです。大学院では朝鮮近現代史を研究していて、社会や歴史の変化と人間の営みの関係を意識していた時期でした。なので、K-POPがどんな社会の変化や歴史の流れの中で日本社会に受容されるようになったのか、国境を超えたのかということに関心を持つようになりました。それで副業的にK-POPの研究もするようになりました」

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日本ジュエリーベストドレッサー賞で特別賞女性部門を受賞したKARA(左からギュリさん、ジヨンさん、ハラさん、ニコルさん)。スンヨンさんはスケジュールの都合で急きょ欠席となった=2013年1月、東京都江東区

 「14年からは韓国に渡り、ソウル郊外にある国立研究機関・韓国学中央研究院の招聘(しょうへい)研究員や釜山の日本総領事館の専門調査員として勤務し、19年に帰国しました。その間もK-POPについてはずっと関心を持って観察してきました。どういう社会の変化があってK-POPが今のような形になったのか、逆にK-POPの影響で社会がどのように変化していったのか。社会文化史的な視点で研究しています」

――その間の移り変わりはどのようなものでしたか。

 「この研究を続けてきて11年間にはいろんな社会の変化がありました。スマホやSNSの広がりはその一つです。日韓関係に関しては非常に悪い状況が続き、あまりいい要素はありませんでした。その一方、世界的なBTS(防弾少年団)のブームが起きたりして、K-POPをめぐる社会情勢はめまぐるしく変化しました」

――情勢の変化はどう影響したのでしょうか。

 「私は、日本でのK-POPブームには二つの山があると思っています」

――二つの山、ですか?

連載「K」の軌跡

世界的な現象となっているK-POP。最終回は、社会文化史的な視点から読み解くインタビューです。

 「一つ目は少女時代やKAR…

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