漫才をテレビに 芸人の意識も改革 澤田隆治さんの功績

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聞き手 編集委員・後藤洋平
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 テレビ・ラジオプロデューサーとしてお笑い界を盛り上げた澤田隆治さんが16日に亡くなった。数々のヒット番組を手がけ、漫才ブームを生み出したことなどから、多くの芸能関係者から追悼の声があがっている。

拡大する写真・図版澤田隆治さん=2020年

 吉本興業で長年マネジャーなどを経験し、現在は日本音楽事業者協会の専務理事を務める中井秀範さん(62)も、澤田さんの背中を見て業界を歩んできた一人。中井さんによると、澤田さんは「舞台エンターテインメントを、テレビでどう見せるか」を初めて突き詰めた人だった。また、お笑いタレントの意識を改革し「成功のシステム」を作りあげた功労者だと説く。

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 1987年、なんばグランド花月のこけら落としに携わりました。オープニングイベントの一つとして米国からパフォーマーを招いた「舶来寄席」をしたのですが、その時のプロデューサーが澤田さんでした。番組をあれだけ作り続けながら、お笑いの歴史的資料を掘り起こして研究し、ラスベガスに行ってはサーカスやマジックを視察するなど、ものすごくお詳しかった。「アメリカには今こんなマジシャンがいて、こんな活躍をしているんやで」と。博覧強記とは、まさに澤田さんのことでした。

 当時の私は下っ端で、澤田さんは既に押しも押されもせぬ大プロデューサー。若い頃の私は吉本東京事務所のマネジャーでしたので、大阪から売れっ子芸人さんたちがテレビ収録で上京する際の現場でもご一緒しました。

 「花王名人劇場」の台本には「企画・澤田隆治、制作・澤田隆治、演出・澤田隆治」とクレジットされているのですが、「前説(まえせつ)」といわれる、本番前の観客を盛り上げながら説明する作業までご本人がされていた。それほど自分で最初から最後までやり通す人でした。

拡大する写真・図版沢田隆治さん=2011年、大阪市中央区

 当時の僕みたいなぺーぺーに対して、ほとんどのテレビプロデューサーは会話すらしてくれません。何かあれば木村(政雄・元吉本興業常務)さんや大﨑(洋・現吉本興業ホールディングス会長)さんたちと直接話をされるので。

 しかし、澤田さんは私とは親…

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