難病の妹、家族が選んだ命の決断 兄が髪を伸ばした理由

編集委員・沢伸也
[PR]

 卒業式を控えた2月28日。大分市の住宅街にある美容室に小学6年の児童が座っていた。40センチほどに伸びた長い黒髪を五つの束に分け、美容師が根元の方にはさみを入れていく。髪束が目の前に置かれると、「すげえ」と児童は小さく声を上げた。

 児童の名は大呂遼平君(12)。男の子だ。その長い髪には、様々な思いが込められていた。

 この前日、4歳下の双子の妹、結以子(ゆいこ)ちゃんと理紗子ちゃんの誕生日を家族全員で祝った。用意された二つのケーキにはそれぞれ8本のロウソクがともる。結以子ちゃんの後、理紗子ちゃんも息を吹きかけるがなかなか消えない。家族の声援を受け、46回目の弱い吐息で8本目の火が消えた。

 8歳の誕生日まで、理紗子ちゃんは何度も生死をさまよってきた。

 6年前の2歳のとき、血小板不足、視力の低下など様々な症状が続発。「先天性角化不全症」という100万人に1人の難病と診断された。様々な病気が合併症として起きやすく、両目は5回も手術を受けた。

 3歳で自ら血液を作り出せなくなり、骨髄移植しか生きる道はなくなった。家族で小学1年生だった遼平君の型だけが一致した。両親は小さな遼平君に骨髄提供のお願いをするかどうか迷ったが、最終的には手術のリスクを含めて説明。遼平君は「りっちゃんが助かるなら」と納得し、骨髄を移植した。遼平君は小学3年時の作文で当時をこう振り返った。

 「ぼくは、こわくて泣きそうになりました。今では、(妹と)仲よく公園に行ったり、ごはんを食べたり元気にすごしています。骨ずいいしょくをしていなかったら、妹のいのちはつながっていなかったかもしれません。手じゅつをしてよかったです」

 発達の遅れもある理紗子ちゃんは一昨年、小学校の特別支援学級に入学した。秋の運動会で玉入れやダンスを楽しんだ直後、高熱が出て地元の病院に入院。原因不明のまま、40度の高熱が数週間続いた。骨髄移植をした九州大学病院福岡市)に転院したものの、直後に意識が低下。脳に膿(うみ)が見つかって緊急手術し、数日間、死の淵をさまよった。数日後に意識は戻ったが、右手・右足に麻痺(まひ)が残った。

 その後もさらなる苦難が襲った。血中酸素濃度が低下し続け、酸素マスクが手放せなくなったのだ。医師は両親に告げた。

 「終末期医療として最期を穏やかに過ごすか、肺移植するしかない」

 福岡市にある病院に、父の興平さん(44)と母の紗智子さん(43)のどちらかが付き添い、もう一人は大分市の自宅で遼平君と結以子ちゃんの面倒をみる。家族バラバラの生活が数カ月間続いていた。

 肺を二つとも移植することはできないため、移植するなら両親が片肺ずつ提供しなくてはならない。そうなると、遼平君と結以子ちゃんはしばらく両親と離れて過ごすことになる。それに、両親にもしものことがあったら――。体が弱く命のリスクを抱え続ける理紗子ちゃんのため、遼平君や結以子ちゃんに負担を強いる可能性もある。

 「理紗子ちゃんの運命として終末期医療を受け入れるべきではないか」という周囲の意見もあった。移植で助かっても、長く生きられないかもしれない。麻痺が残ったままで、本人もつらい思いをするのではないか。興平さんと紗智子さんは眠れない日々を過ごし、何度も考えた。

 命の価値って何なのだろう――。

 そんなとき、呼吸するだけで苦しいはずの理紗子ちゃんが病床で、麻痺している小さな右手の指を動かそうと頑張っていた。「理紗子は生きようとしている」。紗智子さんは移植を決意した。

 一方、興平さんは、遼平君と結以子ちゃんのことを考えて決心がつかなかった。その間にも理紗子ちゃんの肺は限界に近づき、決断を迫られていく。

 紗智子さんは自宅から九州大学病院で付き添っていた興平さんに電話し、何時間も話し合った。「助かる可能性が少しでもある中で何もしなかったら、この子の最期に向き合えない」。最後は紗智子さんの言葉に背中を押され、興平さんも決断した。遼平君と結以子ちゃんには、手術で理紗子ちゃんが亡くなる可能性があることも伝えた。

 移植手術のため京都大学病院に転院する直前の昨年2月、数カ月ぶりに家族みんなで過ごした。5人で集まるのは最後になるかもしれない特別な夜だった。

 理紗子ちゃんは酸素マスクを外せず、ベッドから離れられない。他の4人が近くに寝ようとすると、理紗子ちゃんは言った。「みんなと一緒に寝たい」。家族は酸素マスクがあるベッドにふとんをぎりぎりまで近づけた。双子の結以子ちゃんがベッドに入って寄り添うと、理紗子ちゃんは笑みを浮かべた。

 昨年3月、移植手術は成功した。

 理紗子ちゃんは7月に退院し、リハビリに励んできた。今年2月末には少しだけ歩けるようになった。放課後は障害のある児童たちを受け入れているこどもデイ・サービスに通う。おやつを食べているとき、「病院では大変だった?」と聞く記者に、指で胸を指しながら教えてくれた。

 「こっち(右)はパパ、こっち(左)はママがいるよ」

 遼平君が髪を伸ばしたのは、がんの治療や脱毛症に悩む18歳以下の子どもにウィッグ(かつら)を作る「ヘアドネーション」(髪の寄付)のためだ。妹の理紗子ちゃんが難病で、同級生に病気の治療で髪の毛をなくした子がいたからかもしれない。4年生のとき、新聞でヘアドネーションの記事を読み、「病気で困っている人にできることをしたい」と思って始めた。

 髪を切った翌日の3月1日。2年ぶりに髪を短くした遼平君が登校した。「えっ」「全然違う」「切ったの!」。教室中が驚きに包まれた。うわさを聞きつけた別のクラスの子たちも見に来て、廊下はざわついた。遼平君は何も言わず、照れ笑いを浮かべていた。

 髪を伸ばし続けた2年間、「女の子みたい」とバカにされたこともあった。周りの人と違うとどんな目で見られるのか、身をもって体験した。好きで難病になったわけではない妹も、こんな視線を浴びてきたのかもしれない。遼平君は今、こう思う。

 「違うことは短所に見えるかもしれないけど、長所にもなる。つらい思いをした人は、人に優しくなれるんじゃないのかな」

 食事をしたり、歩いたりするのに人より時間がかかる理紗子ちゃんはこの春、小学3年生になった。毎朝、他の児童より少し遅れて、紗智子さんか興平さんと一緒に登校する。右足を少しひきずりながら、ゆっくりと。それでも、笑顔でこう話してくれた。「病院を出られて、学校に行けてうれしい」(編集委員・沢伸也)

【AScene】難病の妹と髪を伸ばした僕 ある家族の6年間(前編)=西田堅一・藤原伸雄撮影

【AScene】難病の妹と髪を伸ばした僕 ある家族の6年間(後編)

ついに遼平くんが伸ばした髪を切ります。2年半の間で経験した、まわりとの葛藤、心情の変化、家族のつながり… 遼平くんが伸ばした髪から学んだこととは?