津和野藩士、堀田仁助 伊能に先立ち蝦夷地図作成

[PR]

 パソコン画面に触れると、太陽や月、星宿(せいしゅく)などを描いた球形が思いのままに回転。拡大や縮小もでき、じっくりと観察できる。江戸後期に作られた「天球儀」(島根県指定文化財)の3D映像が、島根県大田市三瓶町多根の県立三瓶自然館サヒメルの企画展「学芸員のとっておき」で展示中だ(6月6日まで)。

 「天球儀」を作ったのは津和野藩士の堀田仁助(にすけ)。藩主に「地球儀」とともに献上した。

 堀田は藩の御船屋敷があった廿日市(現広島県廿日市市)で生まれた。算術の才能に富み、10代で藩役人に、30代で幕府天文方になった。「小さな町役場の職員が、東京天文台か東京大学の助手に抜擢(ばってき)」(山岡浩二『津和野をつづる』)されたようなイメージだろうか。

 最大の業績は1799年に西洋式測量術による地図を初めて作ったことだろう。岩手・宮古から蝦夷(えぞ)地(北海道)・厚岸(あっけし)までの海路を開拓し、厚岸から松前までの地図を作った。あの伊能忠敬が全国測量に着手したのは、その翌年のことだった。

 本物の天球儀と地球儀は今、津和野町の太皷谷稲成神社にある。数年前、堀田のことを知ったサヒメル学芸課スタッフの龍(たつ)善暢(よしのぶ)さん(63)が、3Dソフトを借りて県立古代出雲歴史博物館(出雲市)にあるレプリカで練習を重ねたうえで、神社の本物を計測した。「堀田のことを知ってほしいと、何回もくじけそうになりながら作りました」。サヒメルでは、堀田にちなんだプラネタリウム向け番組を作る計画もあるという。

 研究者を除くと、堀田を知る人は少ない。近世社会文化史が専門の県立古代出雲歴史博物館の岡宏三・専門学芸員(54)は「マイナーな存在なのは、息子が病気のため後継者ができなかったことや、資料があちこちに分散してしまったことがある」と指摘。「伊能忠敬の業績ばかりが注目されるが、堀田らによる蓄積があったからこそです」

 歴史地理学が専門の安来市加納美術館前館長、神(じん)英雄さん(66)はかつて、堀田の子孫の佐々木良子さん(73)=益田市=から調査を勧められ、堀田に魅了された。最晩年、津和野に戻り藩校で教えたという堀田について、「与えられた課題に最善を尽くし、仕事が終わったら静かに姿を消す。伊能忠敬の前に、そんな人物がいたことを知ってほしい」という。神さんは4月から、山陰中央新報の文化面で堀田の連載を始めた。

 津和野町では3月、天球儀や地球儀のレプリカが完成。藩校養老館で活用する計画が進む。没後190年余りが立ち、光があたり始めた状況に、「いろいろな人が関わっていろんなことがわかってくる。ありがたい」と佐々木さん。

 堀田はいま、森鷗外の墓のある津和野町の永明寺(ようめいじ)近くの墓域に眠る。実直な人柄を表すように、さりげない自然石の墓石が林間に立つ。