人と人つないだ「辻親分」 松原再生へやり残したことは

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大西英正
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 東日本大震災の津波で、「奇跡の一本松」を残してすべての松が流された岩手県陸前高田市の高田松原で18日、4年前から続いていた植樹が終わった。植えられた4万本の中に「辻親分の松」と名付けられた1本がある。周囲より背が高く幹の太いその松は、命を削って松原再生の土台を築いた男性にちなんだものだ。

 男性は、北陸のダンプ運転手でつくる組合の代表、辻猛(たけし)さん。辻さんが陸前高田市に足を踏み入れたのは、震災から2カ月近く経った2011年4月末。津波で流された松原の姿をニュースで見て心を痛め、そのままなら廃棄される松を薪(まき)として再利用し、地域支援につなげたいと考えた。

 「重機を扱える俺らが行かなあかん」。組合の仲間に声をかけ、大型ダンプやパワーショベルなどの重機とともに福井県越前市から被災地に乗り込んだ。散乱していた松を集めて薪にし、売り上げを陸前高田市に寄付した。

 その後も11年だけで4回、陸前高田市に入った。「貯金なくなるけどな、まぁええか」。そう妻のひでみさん(62)に言って、米50俵と灯油2千リットルを支援物資として持ち込んだこともあった。

 3年が過ぎたころ、支援の重心を物から心に移す。

 松原の再生に取り組むNPO法人「高田松原を守る会」のメンバーや被災者らを招き、交流会を開催。15回目の訪問となった16年6月には、連れてきた組合のメンバーと合わせ約50人で大宴会を開いた。

 それぞれの故郷の民謡や演歌を歌い合った同会の小山(おやま)芳弘さん(69)は「豪快な人でみんなに元気をくれた、優しい心を持った人だった」と振り返る。

 だがこれが最後の訪問になる…

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