「何のための五輪」コロナ克服できない今、問われる理念

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聞き手・伊木緑、笠井正基
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 東京五輪の「開幕日」まで約2カ月。新型コロナ収束の兆しはなく、中止を望む声のなか、政府は突き進む以外の選択肢を見せない。異様な状況があぶり出すのは「何のための五輪か」との問いだ。

強行すればスポーツへの信頼失われる 元ラグビー日本代表の平尾剛さん

 東京五輪中止を求める声が高まっているのは、「五輪への幻想」というベールがはぎ取られたからだと思います。

 名だたる大企業や大手メディアがスポンサーに名を連ねて特有の祝祭的な雰囲気を醸成し、ネガティブな面は覆い隠されてきました。それが、コロナ禍で多くの人が普段の生活ができなくなり、命の危険を感じるなか、多額の費用をかけ、社会に負担を強いる五輪の実態に気づいた。そして「五輪って要るの?」との疑問に至ったのでしょう。

 もともと東京五輪をめぐっては問題が山積していました。安倍晋三前首相が招致演説で述べた福島第一原発汚染水問題の「アンダーコントロール」発言。「復興五輪」を掲げたものの、競技場や選手村の建設で資材や作業員が不足し、実際は五輪が復興の足かせになったこと。そして招致をめぐる贈収賄疑惑はいまだに解明されない。

 反対論が大きく広がったのは、大会組織委員会が看護師500人の確保を要請したことがきっかけになったと思います。4月下旬、会見した武藤敏郎事務総長は開催ありきで、「前々からそういうことになっている」というような口ぶり。後ろめたさがまったく感じられませんでした。

 社会が見えていないのでしょう。「五輪だから最後はなんとかなる」「始まってしまえば盛り上がる」と思考停止してきた。森喜朗前会長が辞任するまでは「森さんが何とかしてくれる」という考えもあったかもしれません。

 だから未曽有の事態に向き合えないのです。

 五輪がないと強化や普及ができない競技もあり、アスリートが発言しづらい事情はわかります。部活動に由来する上意下達の文化に加え、社会とスポーツが切り離され、子どもの頃から競技だけに専念するあまり、発言する言葉を持たない選手もいます。でも開催を望むなら、無観客や大会の縮小など「こうしたら開催できる」と提案すべきだし、開催が現実的でないと考えるなら、そう言えばいい。アスリートである前に一人の人間であり、身の回りの現象や出来事について考えたことがあればおのずと言葉は生まれてくるはずです。

 私はスポーツに育てられた人間ですし、「スポーツの力」は信じています。原始的な社会では、身体能力はそのまま生き延びるための力だった。身体を使うことが少なくなった社会で、アスリートのパフォーマンスは生きる力を見せてくれます。

 でも、それを五輪に矮小(わいしょう)化してはいけない。子どもが初めて逆上がりができた時、サッカーで初めてゴールを決めた日。できなかったことができるようになり、本人や周りの人に感動を呼び起こす瞬間こそが「スポーツの力」です。勝利至上主義のもと、一部のエリート養成を促す五輪は、これに逆行しています。

 東京五輪は中止すべきです。このコロナ禍にあって社会的に弱い立場の人への配慮が決定的に欠けている点は、スポーツを愛する者として看過できない。もし強行すればスポーツに対する世論のまなざしは、より厳しくなるでしょう。中止されたとしても、一度向けられた懐疑の念は簡単にぬぐえないと思います。

 五輪はスポーツの名を借りた商業イベント。そう結論づけた上で、スポーツの価値を本質的に考え、時間をかけて教育現場から見直すべきです。スポーツの信頼が失われるのを静観すれば、50年後、「スポーツなんてやってるの? 珍しいね」とも言われかねない。そんな危機感があります。(聞き手・伊木緑

     ◇

 1975年生まれ。同志社大や神戸製鋼でプレー。神戸親和女子大教授(スポーツ教育学)。著書「脱・筋トレ思考」。

記事後半では、作家で元東京都知事猪瀬直樹さんとスポーツ社会学者の石坂友司さんと、「何のための五輪か」を考えます。

日本ができなくても、中国は来年必ずやる 作家・元東京都知事猪瀬直樹さん

 五輪の開催への支持率は、世論の気分で動くものです。私が東京都知事の時も、最初のうちは五輪招致への支持率は低かったですが、ロンドン五輪での日本勢の活躍が刺激となり、70%を超えました。今は賛否が割れていますが、五輪が始まると選手のドラマが感動をもたらすでしょう。

 コロナ禍のなかで五輪を開催…

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