女子に注目の集まることが多かった日本卓球界で長年、男子のエースとして活躍してきたのが水谷隼(31)=木下グループ=だ。2016年リオデジャネイロ五輪ではシングルス銅、団体銀。今夏の東京は自身4度目の五輪になる。第一人者が語る日本男子卓球のこれまでと、これから。(編集委員・稲垣康介、吉永岳央)
自宅のテレビにくぎ付けになった。
2008年の夏、北京五輪の戦いを終えて帰国したときのことだ。画面の向こうで笑っていたのは、日本フェンシング界初のメダルを獲得した太田雄貴。
「ああ……、すげーなぁって。(隣にいた選手と)無言で慰め合いました」
北京五輪の卓球男子団体は、準決勝でドイツと大接戦の末に2―3で惜敗した。水谷は当時19歳。メダルに肉薄したからこそ、マイナー競技から一躍脚光を浴びた太田の姿は一層まぶしく映った。
「本当にあと1ゲーム。正直、あそこでメダルを取っていたら、人生が変わったと思います。卓球界の全てが覆っていた。お祭り感覚で本気じゃなかったから、終わった後にめちゃくちゃ後悔したんです。もっと真剣にやっていたら……」
「天才少女」「泣き虫愛ちゃん」として知られた福原愛を筆頭に、卓球界で注目を浴びるのは当時、いつも女子だった。「うらやましい時期は長かったですね」と水谷。人気を背景に、所属先スタッフを中心とする充実の「チーム」を編成する女子選手への思いは複雑だった。
08年2~3月にあった世界…