幼くして被爆死した2人 夫婦は生きた証しをたどった

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米田悠一郎
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 長崎市白木町の上野泰子さん(69)には、原爆で幼くして命を失った2人の叔父がいる。8月9日になると、亡き母は、伝え聞いた2人の最期の様子を語ってくれた。断片的に残る手がかりをもとに、泰子さんは亡き叔父の足取りをたどり、生きた証しを掘り起こしている。

 「あれ、これって……」。3年前、城山小平和祈念館(同市城山町)で、同校の原爆殉難者名簿を見ていた泰子さんは、夫の啓典(ひろのり)さん(69)に声をかけた。そこには6年生の谷川一雄さん、俊雄さんの名前。隣にいた祈念館のガイドが、そっと教えてくれた。「兄弟だったんですよ」。泰子さんは、母の故・千久子さんから伝え聞いていた亡き叔父2人だと確信した。

 一雄さんと俊雄さんは、6人きょうだいの5番目と6番目だった。1945年の夏ごろは、城山小近くの同市城山2丁目(当時)で家族6人暮らし。長女の千久子さんは諫早に嫁いで家を離れていた。

爆心地から700メートル、生き残った祖母も9日後に

 8月9日の原爆投下時、爆心…

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