「ゆすり」の語源が朝廷の使者? 日光例幣使街道玉村宿

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中村瞬
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 人をおどして金品をまきあげる「ゆすり」。その語源は、江戸時代に現在の群馬県を通り、徳川家康をまつる日光東照宮へ向かった使者一行の「駕籠(かご)ゆすり」だという説がある。

 使者は「日光例幣使(れいへいし)」と呼ばれていた。どういうことなのか。その名が標識に残る群馬県玉村町を訪ねることにした。

 町内を東西に走る県道に例幣使道(れいへいしどう)玉村宿という交差点がある。ここに、日光例幣使街道の最初の宿場である玉村宿があった。

 町発行の「玉村宿まち歩き」によると、街道は例幣使のために倉賀野(群馬県高崎市)から楡木(栃木県鹿沼市)まで整備された。玉村宿は街道の約2・6キロの区間で、50軒の旅籠(はたご)が立ち並んでいた。

 日光例幣使は、日光東照宮の春の大祭に、京都の朝廷が幣帛(へいはく)(贈り物)を奉納するために派遣した。正保4(1647)年から派遣が始まり、慶応3(1867)年まで221回、一度も途絶えることなく続けられた。毎年4月1日に京都を出発し、中山道と例幣使街道を通って4月15日に日光に到着した。

 例幣使一行の振る舞いは宿場やその周辺の人々にとって歓迎されるものではなかったようだ。島崎藤村の「夜明け前 第一部 下」にはこんな記述がある(以下引用)。「道中で人足をゆすったり、到るところの旅館で金を絞ったり、あらゆる方法で沿道の人民を苦しめるのも、京都から毎年きまりで下って来るその日光例幣使の一行であった」

 群馬女子短大(当時)教授だ…

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