稽古で涙も「両親のため」 恩師が見てきた若き照ノ富士

小俣勇貴
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 大相撲夏場所(東京・国技館千秋楽の23日、大関照ノ富士(29)が2場所連続4度目の幕内優勝を果たした。モンゴルから来日した11年前は「素人レベル」だった青年が、角界最高位の横綱昇進に挑むことになった。

 2010年夏。沖縄県で開かれた全国高校総体の相撲団体で、鳥取城北高が初優勝を飾った。涙を流して喜ぶメンバーをよそに、躍進の立役者は満足そうな笑みを浮かべていた。仲間から「ガナ」の愛称で呼ばれるこの大柄な選手は、ガントルガ・ガンエルデネ。相撲部顧問でモンゴル出身の教諭、レンツェンドルジ・ガントゥクスさん(36)は直感した。

 「こいつ、大物になるな」

 ガントゥクスさんは09年12月、モンゴルに留学生のスカウトに訪れた。

 日本留学を希望する若者数十人が集まった。後に関取となる逸ノ城や水戸龍もいた。横綱白鵬の父でモンゴル相撲の元横綱ジジド・ムンフバトさん(故人)が「絶対活躍するよ」と推す青年がいた。その青年が「ガナ」だった。

 当時18歳。他の希望者より2、3学年上だった。ガナはモンゴル語で「本当に僕、頑張りますので、よろしくお願いします」と訴えてきた。スカウトに一緒に行った石浦外喜義監督(現総監督)に相談し、留学の受け入れが決まった。

 ガナはさっそく翌春に来日。最初の壁になるとみられた日本語には苦労しなかった。「頭の回転が速く、勉強もできたので、吸収は他の留学生よりも早かった」とガントゥクスさん。一方、苦労したのは相撲だった。当時コーチだった井上俊男監督(40)は「体格はよかったが、技術的には全然。素人レベルでした」と振り返る。

 慣れない環境で、基礎から学ぶ日々が続いた。四股の踏み方、すり足、ぶつかり稽古――。泣きながら練習することもあった。

 ただ、指導者に弱音をはいたことは一度もなかった。ガントゥクスさんは一度、ガナの決意を耳にしたことがある。「日本で活躍して、お父さんお母さんを助けて、幸せにしたい」

 ガナにとって、最初で最後の高校総体だった。入学当初は団体メンバーの構想外だったが、約4カ月の短期間で力をつけた。ここぞで頼られる存在へと急成長した。その年の12月、間垣部屋への入門が決まった。

 角界入りしたガナは、若三勝と名乗り、関取に昇進してしこ名を照ノ富士と改めた。23歳で大関までスピード出世で上り詰めたが、テレビ越しにガントゥクスさんの目に映ったのは、若気の至りか、大きな態度をとる、高校時代とは異なる教え子の姿だった。序二段まで転落する原因となったひざのケガを負ったときも、心配する声に対し、素っ気なく応じていた。

 「弱気なところを見せたくなかったんでしょう。気持ちが分かるから、声をかけづらかった」

 静かに見守ってきたガントゥクスさんが、今度はいい意味での変化を感じたのは、復活ののろしとなる幕尻優勝を果たした昨年の7月場所後だった。

 母校に来た照ノ富士を握手と抱擁で出迎えた。「これからです。まだまだ頑張ります」。教え子の謙虚な受け答えに、思った。「ケガをして、大関から落ちて、苦労して、一回りも二回りも変わった。強くなりたいと素直に思っていた初心を取り戻していた」

 その後、照ノ富士は順調に番付を上げていき、今年の春場所で3度目の優勝。「史上最大のカムバック」と呼ばれる大関復帰を果たして迎えた今場所。照ノ富士千秋楽の本割の大関貴景勝戦で敗れて12勝3敗になったが、相星の貴景勝との優勝決定戦を制した。

 さらなる高みへ、ガントゥクスさんも期待を隠せない。「本人はなかなか口に出さないけど、それが一番の目標でしょう」。横綱になる日を、心待ちにしている。小俣勇貴