働くよ、やっぱり東北で 子どもだった私たちの10年後

藤原伸雄、関田航
【動画】被災地のふるさとで新たな一歩を踏み出した若者=藤原伸雄撮影
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 東日本大震災から10年。この春、被災地でも多くの若者たちが就職し、人生の新たな一歩を踏み出した。あの時、まだ子どもだった彼ら、彼女らは大人となり、それぞれの決意を胸に仕事に励む。故郷に戻り、被災地の復興とともに歩み始めた若者の姿を追った。

 岩手県大槌町の高木桜子さん(23)は、被災地での教育を支援をする「認定NPO法人カタリバ」の一員として、かつて自身も学んだ放課後学校「大槌臨学舎」で働き始めた。授業を終えた生徒たちの学びを支援したり、町の若者を招いたイベントを企画したりするなど、地元の中高生と向き合う日々を送る。「子どもと関わり、町の発展につながっていく仕事が出来てとてもうれしい」と話す。

 2011年3月11日、高木さんは町立中学の1年生だった。高台に避難する道中ですれ違い「さっこ(高木さんのあだ名)、今日部活あるかな」と聞いてきた級友を失い、沿岸部にあった自宅は跡形もなく流された。

 高木さんは中高時代、吹奏楽部でサックスを担当。チャリティーコンサートなどで他県の生徒たちと交流したり、大槌町を訪れた人たちに被災の体験や町の歴史、魅力を伝えたりするなかで、自身も成長したという。「卒業したら帰ってこよう」と心に決め、東京の大学に進学。被災地出身であることに対して心ない言葉をかけられたこともあったが、心の中にはいつも大槌町があった。

 「ここには家族とか友達、震災で傷を負った方々もいる。人の変化、町の変化を、自分の目で見つめていきたい」。この町で生きていく決意を新たにしている。

 宮城県女川町の木村絵美さん(25)は、同町の健康福祉課で保健師として働き始めた。病気や住民の健康管理について勉強する毎日だ。

 町立中学2年生のときに被災。卒業式の準備をしていた体育館から避難所に移動する時に見た町は、真っ黒な津波に覆われていた。海沿いで電器屋を営んでいた祖父母の自宅兼店舗が流され、店にいた祖父の弟は行方不明のままだ。

 看護師を目指し仙台の大学の看護学科に進学。在学中に祖父が肺疾患で他界した時、幼い頃から学校の送り迎えや帰宅後の食事の世話をしてくれた祖母の好子(こうこ)さん(80)のことが思い浮かんだ。高齢化が進むふるさとのことも気がかりだった。「地元の住民の生活を直接支援したい」と、大学院に進学し、保健師の資格を取得。就活では女川町役場しか受けなかった。

 仕事後、祖母が1人で暮らす災害公営住宅に立ち寄り、毎日のように夕飯をともにする。「近くに家族がいてくれて本当にうれしい。帰ってきてくれてありがたい」と好子さん。食卓に笑顔がこぼれる。絵美さんは「おばあちゃんが元気なうちに恩返ししたい」と話した。(藤原伸雄、関田航