「まるで災害現場」コロナ集団感染 あの時病院で何が

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柏木友紀
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 あの時、院内で何が起きていたのか――。新型コロナウイルスの集団感染で昨年、患者や職員ら200人以上が感染、患者43人が死亡した永寿総合病院東京都台東区)の看護師たちが、当時の状況や心のうちを克明に記録した書籍を出版した。

 「何かがおかしい」。そう思った時には既に院内に広まっていたウイルス、次々と発症するスタッフ、増える負担とストレス、家族にも会えないまま亡くなる患者さん……。

10人の医療スタッフが発熱で欠勤

 国内の医療機関で最大級のクラスターとされる同病院。「まるで災害現場のよう」と振り返る命の最前線での闘いと葛藤の記録だ。全国で感染拡大が止まらない今、伝えたいこととは。彼女たちに聞いた。

 出版されたのは「新型コロナウイルス感染症 アウトブレイクの記録」(医学書院)。看護部の高野ひろみ、武田聡子・両副部長と、松尾晴美看護科長の3人が執筆した。クラスター発生時に病棟を担当したり、全体の指揮や調整をしたりした看護師たちだ。

「何かがおかしい」と思い始めたのは、患者に加え、看護師にも次々と発熱者が出始めた昨年2月終わりごろだった。

 当初インフルエンザが疑われ、タミフルなどの投与を受けていた。「しかし今回はみんな熱や倦怠(けんたい)感が長過ぎる。インフルエンザ検査も陰性が続き、不安が広がっていきました」と、3人は口をそろえる。

 ある病棟では2月下旬から3月中旬までに10人のスタッフが発熱で欠勤した。看護記録を見るとその全員が、発熱で「誤嚥(ごえん)性肺炎」と診断され状態が悪化していた患者のケアに携わっていた。院内の感染制御部に相談したが、「当時はPCR検査の実施要件が厳格に限られ、経過を見るしかありませんでした」。

3月半ばには病棟の患者に発熱者が急増、19日に保健所に「院内感染」の可能性を報告した。

 3月21日から全入院患者にPCR検査を順次実施、23日には多数の陽性者が判明して24日からは外来診療と救急受け入れを止めた。この時点での入院患者数は256人。病棟を診療科別ではなく、陽性者と陰性者で分けるため、引っ越し作業が必要となった。

 誰からどう、どのように動くのか、誰が介助するのか。混乱のなか、指令係、案内係、消毒係と役割を分けて引っ越しが始まった。

病棟ごと出勤停止に

 歩けない患者はベッドごと…

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