今川義元の葬儀段取り新史料、臨済寺で発見 特別公開

玉木祥子
[PR]

 戦国大名今川氏の菩提(ぼだい)寺である静岡市葵区の臨済寺で、今川義元に関する新たな史料5点が見つかった。このうちの一つが、義元の葬儀の段取りが記された文書。これまで写しは確認されていた。今回の文書は原本とみられる。

 市が5月18日に発表した。見つかったのは、義元の葬儀について書かれた「天沢寺殿秉炬(てんたくじでんひんこ)」と、義元の家臣が土地の寄進について書いたとされる「関口氏純替地証文(せきぐちうじずみかえちしょうもん)」。ほか3点は、すでに見つかっている古文書の写しで、中世の天皇による文書という。

 「天沢寺殿秉炬」は、1560年5月19日に桶狭間の戦いで義元が織田信長に討ち取られてから、6月5日の葬儀までの間に書かれたと見られている。葬儀の導師を務めた臨済寺の当時の住職の名前が小さい字で書かれていることや敬称がないことから、住職自身が記したメモの可能性があるという。葬儀に参加する他の住職の名前や読経の種類などが記され、所々に朱直しが入っている。

 「関口氏純替地証文」は、義元の家臣で徳川家康の正室築山殿の父親とされる関口氏純の文書。関口氏の所領の一部を、義元墓所として建てられ、臨済寺と同じ大岩地区にあったとされる天沢寺に寄進することが書かれている。義元の死後、家康とのつながりが深くなったことから、義元の子氏真に切腹を命じられた氏純は1562年に自害したとされていたが、この文書が書かれたのは1563年。花押が氏純が書いた他の文書に記されたものと酷似していることから、氏純直筆の原本とみていて、氏純の没年が見直される可能性がでてきている。

 これらの史料は、2018~20年度に義元生誕500年事業の一環として行われた臨済寺所蔵史料の調査の中で発見された。担当した市文化財課の熊谷すずみ主事は「これまで言われていた歴史が変わるかもしれない貴重な史料。研究の発展につながっていければ」と話す。

 義元の命日にあたる5月19日、臨済寺で一般公開され、市は今年度中に再び史料の公開を計画している。(玉木祥子)