民主化弾圧の現場、大量のフィルムに 光州事件41年

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武田肇
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 41年前の5月、韓国で民主化を求めるデモが軍に弾圧され、240人以上が死亡・行方不明になったとされる「光州事件」が起きた。事件のさなかに2度、封鎖された街に入って実態を報じた朝日新聞記者撮影の写真フィルムが大量に見つかった。今も、ミャンマーなど世界各地で民主主義が脅かされる出来事が相次いでいる。記者の家族は「様々な形で役立ててほしい」と話している。

 バスから市民を引きずり出し殴りつける兵士。負傷した仲間を運び出す若者。霊安室に置かれたひつぎ――。撮影したのは、大阪本社写真部員だった故・青井捷夫(かつお)記者(2017年に78歳で死去)。社会部員の故・斎藤忠臣(ただおみ)記者(14年に71歳で死去)とともに1980年5月19~23日、ソウルから約270キロ南にある人口約70万人の光州(クァンジュ)市に入った。

 朴正熙(パクチョンヒ)大統領が暗殺され、18年間の軍事独裁政権が倒れた翌年。その後にクーデターで実権を握った軍部が、民主化デモを抑え込むために非常戒厳令を拡大。根強い抵抗が続いていた光州には空挺(くうてい)部隊を含む軍隊が投入され、電話が切断されるなど孤立した状態だった。

死者は167人、行方不明者78人に上った光州事件。57コマのカラー写真を含む計247コマのフィルムには、デモに参加した若者たちを軍が制圧する、生々しい様子が映し出されていました。

 見つかったフィルムは247…

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