吉田所長も好んだカレー 事故10年、大熊で復活したが

有料会員記事アナザーノート

[PR]

アナザーノート 大月規義編集委員

写真・図版

ニュースレター「アナザーノート」

アナザーノートは、紙面やデジタルでは公開していないオリジナル記事をメールで先行配信する新たなスタイルのニュースレターです。今回は5月23日第39号をWEB版でお届けします。レター未登録の方は文末のリンクから無料登録できます。

 原発事故で全町民が避難した福島県大熊町で4月、一軒の喫茶店が10年ぶりに復活した。「軽食・喫茶 レインボー」。経営するのは武内一司さん(68)。自慢のカレーも再開した。だが「とんでもないものを引き受けちまったよ」と常連客にぼやく。なにせ70歳を目前にして、初めての単身赴任生活。そして、町の将来が見えてこないのである。

 武内さんの左の肩甲骨から二の腕にかけては、湿布がびっしり貼られている。ナポリタンや焼きめしをフライパンで炒め続け、腕に負担がかかるためだ。来店者は1日20人前後で、原発事故が起きる前の50~100人と比べて減ってはいるが、「一度に3人前もつくると、年を取ったぶん痛みが出てくる。職業病みたいなもんだね」

 単身赴任で一番困るのは「湿布が一人じゃ、うまく貼れないこと」。隔週土日の定休日に、30km離れた南相馬市の新居に帰る。そのとき妻の久美香さんに貼ってもらう。

 東京電力福島第一原発の事故が起きて、大熊町→会津若松市(仮住まい)→南相馬市(新居)と移り住んだ。久美香さんは南相馬市給食センターで働いているため、武内さんは大熊町の復興住宅で一人暮らしとなった。

かつては町のど真ん中

 再開したレインボーは、避難指示が2年前に解除された町の南端「大川原地区」にあるが、もともとは町の中心部にあった。旧役場の斜め向かいで、黄色い屋根が目印だった。

写真・図版
原発事故から2年たち、町の中心部にある自宅と黄色い屋根の喫茶店レインボーに入った(右から)武内一司さん、妻久美香さん、長女友美さん=2013年3月10日、福島県大熊町下野上、大月規義撮影

 「マスター、今日は仕事が早めに終わったよ」。武内さんの記憶では、2011年3月9日の夕刻。第一原発の当時の所長、吉田昌郎さんはいつものように1人で来て店のテーブル席に座った。注文したのはカツカレー。「所長になる前も福島に赴任すると毎週のように来ていた。カレーが好きだった」。その数十時間後、震災と原発事故が起きた。生活は一変した。周辺一帯は「帰還困難区域」に指定され、今も立ち入りが制限されている。

■会津で交わした約束…

この記事は有料会員記事です。残り1376文字有料会員になると続きをお読みいただけます。