平野啓一郎が描く20年後の日本 格差拡大と分断の果て

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聞き手・山崎聡
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 格差が途方もなく広がり、社会は〈うまくいっている世界と、いっていない世界〉に二分される――作家の平野啓一郎さんは、約3年ぶりの長編小説「本心」(文芸春秋)で、20年後の日本社会をそう予言した。人工知能や仮想現実が浸透するなか、人間のアイデンティティーや死への意識はどう変わるのか。ロングインタビューをお届けします。

 (※作品の内容に踏み込みます。未読の方はご注意ください)

 ひらの・けいいちろう 1975年、北九州市出身。京都大学法学部卒。在学中に発表した「日蝕」で99年に芥川賞。2008年の「決壊」で芸術選奨文部科学大臣新人賞、09年の「ドーン」でBunkamuraドゥマゴ文学賞、16年の「マチネの終わりに」で渡辺淳一文学賞、18年の「ある男」で読売文学賞。

 ――さまざまなテーマが折りたたまれた小説ですが、着想のきっかけは

 「未来がどうなるのかについて、社会的に懸念も含めて語られることが多いですね。世界規模の気候変動が確実に訪れ、日本の場合は少子化を止めようがない。そのうえで、格差が非常に開いてしまっている。かなり悲観的な予測にしかなりえないんです。僕にはいま10歳と8歳の子どもがいるんですけど、実際のところ、教育で何を身につけさせてやったら生きていけるのか、かなり真剣に考えるところがありまして」

 「一方で、僕も入っている団塊ジュニア世代が高齢者になるときのことを、社会は戦々恐々として見つめている。自分がそういう年齢になって、子どもたちが社会の中心となるような年齢になったとき、日本がどうなっていて、どう生きていくのかを考えようとしていたのが元々のきっかけです」

 ――未来予測がベースになっていると

 「そうですね。未来予測はSFでは社会のどこか一点だけが突出していまと変化している世界を描きがちですけど、この10年、20年の変化を見ればわかるように、社会は全体的に変わっていきます。小説としては設定がトゥーマッチに見えるぐらいでも、現実的に未来を考えようとすると、あれもこう変わっている、これもこう変わっているということを踏まえないと、そのなかを生きる人間をうまく描けないなと思っています」

――そのうえで、自分で死のタイミングを決める「自由死」が大きなテーマになりました

 「僕は『分人主義』ということをずっと言っていまして、誰といるときの自分の『分人』が心地よくて、そうじゃない人といるときの『分人』は不愉快、みたいなモデルで自己を認識してはどうですか、ということを提案してきました。では、自分が死ぬときは、いったいどういう『分人』でいるのが心地いいのか。できれば幸福な『分人』のときに死ぬのがいいんじゃないか、ということを考えるようになったんです」

 「そうしたときに、生殖医療とか、人間が生まれるということにかんしては相当、人工的に解明されていますけど、死にかんしては、生命を長引かせるという方向ではありとあらゆる手を尽くしていますけど、最後は何かにゆだねるというか、偶然任せみたいなところがある。自分が高齢になったときを想像すると、いつ死ぬかという予定が立てられていれば愛する家族に囲まれて死を迎えることができるのに、偶然任せだと、たとえば子どもが地方で働いているとか、海外に赴任しているとかいうときに救急車で運ばれて、孤独のなかで死んでいくというのが本当に幸福なのかなと考えたんですよね」

 「人生のあらゆる重大事と同じように死の予定を立てようと思うと、どこかのタイミングで自分が『ここまででいい』と決断するという発想になるんじゃないかと。そこから考え始めました。人間は誰もが一人では生きていけないと言いながら、死だけは一人で受け止めなきゃいけないと思いがちです。本当は死も、生き残る人たちと分かち合いながらでしか受け入れられないんじゃないか」

 「潜在的には『孤独死』はものすごく不安がられていますよね。だけど、現実的には死のタイミングを生きている人に合わせることはできない。そこから、じゃあ自分の死ぬタイミングを決めるということは人間に許されるのか、という『死の自己決定』について考え出したんです。必然的に安楽死の議論と触れるところもあるので、やっぱりオランダのような死の合法化・医療化が進んでいる国の事例はかなり調べました」

 ――作中で、あえて安楽死ではなく「自由死」としたのはなぜですか

 「じつは新聞連載時には『安…

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