独学の水墨画家 Iターンした奥出雲町で活動
自然に囲まれた里山の中で画(え)を描きたいと、夫と京都府から島根県奥出雲町にIターンした水墨画家がいる。全くの独学で始めた水墨画は、身近な生き物などを題材に余分なものを描き込まない作風で、想像させて楽しめると評判だ。
画家は信田薙佳(のぶたちか)さん(59)。今月18日夜、JR出雲横田駅近くの空き店舗で、同じくIターンした県内在住の歌手で俳優の男性とのライブがあった。ミュージカルのような演出と詩の朗読の後、信田さんがピアノの音色の中で即興で和紙に筆を走らせた。ほどなくして昇り龍が完成し、拍手を浴びた。
京都市生まれ。父は水墨画家、母は着物染色作家という家庭で、幼いころから伝統芸能や美術工芸を間近にして育ち、父のスケッチにも同行して海や山など自然の中で遊び回った。大学卒業後は結婚、子育てに追われる一方、子どものころの体験から「いつかは自然豊かな場所に」との思いが募っていった。
その後、両親の墓参りができる範囲で移住先を探していたところ、手にした雑誌に奥出雲町の話題が掲載されていた。ロシアでの剣道普及に貢献し、監督も務める夫の満さん(74)に尋ねると、山陰地方の剣道仲間を通して話が進んだ。満さんの「この際だから遠出してみよう」の一言で移住が決まり、2012年3月から古民家で暮らす。後に義父が赤名町(現・飯南町)出身と知り、縁を感じた。
水墨画を目指したのは移住の4年前から。父からは生前、「仕事道具に絶対触るな」と言われ、手ほどきを受けることもなかった。だが両親の遺品を整理しながら、工房で遊んだ記憶や墨、染料のにおいから懐かしさを覚えた。
母には「水墨画を極めるなら師を選ぶこと。できなければ独学で迷いながらでもしなさい」と言われていた。何か背中を押されたようで08年、上野の森美術館の公募展に、実家があった京都府宇治市にある橋と桜を描いた日本画「春の橋」を初出品。入選を機に水墨画を続ける決意をしたという。
作品にはスズメや猫など身近な生き物や、ボタン、カタクリの花など里山の自然、風景などが登場する。人との共存が感じられる好きな題材だからという。
「あらゆる見聞が師匠で、自分に取り込んだものをいかに表現するか」を心がける。父が残し、様々な作家が描いた作品も教科書だ。感銘を受けて目標とする長谷川等伯や俵屋宗達らの絵師の作品からは、表現の仕方や余白の生かし方なども学び、独自の工夫を加えて表現している。
すべてが試行錯誤しながらだったが、国内外の芸術祭や公募展で入賞するなど実績を重ねている。町内で水墨画を楽しむワークショップを催し、地域の人たちと交流も深めている。
今はコロナ禍で発表の機会が減ったが、オンライン教室の講師となり、独学できた経験を踏まえて初心者向けにブログで水墨画の楽しみ方や道具の選び方なども丁寧に伝える。反響が伝わってくるライブでの即興は続けていくつもりだ。
「地域には様々な作家が多い。発表、表現できる機会を増やしていきたい」。里山の動物などが登場する水墨画の絵本を作ることも目標の一つだ。(杉山匡史)