岩手競馬の「夢」乗せ走ったラブバレット 競馬場で散る

松本龍三郎
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 地方競馬を沸かせた一頭の競走馬が、レース中のアクシデントによりこの世を去った。岩手競馬のラブバレット、牡(おす)10歳だ。

 25日の水沢競馬場(岩手県奥州市)第12レース。向こう正面で右脚を開放骨折し、競走を中止した。手の施しようがなく、薬による安楽死となった。デビューから70戦目だった。

 「ラブバレット」と聞いて、どんなサラブレッドか分かる人がどれだけいるだろう。

 管理する調教師の菅原勲という名前に、ピンとくる競馬ファンは少なからずいるはずだ。今から22年前、地方競馬に所属しながら日本中央競馬会(JRA)のGⅠレースを史上初めて制したメイセイオペラ。その鞍上(あんじょう)にいた男だ。

 決して血統的な背景が優れているとは言えなかった。それでも岩手で無敵を誇った菅原とメイセイオペラのコンビは、たびたび全国へ遠征。中央競馬の一流血統馬と真っ向勝負を演じた。全盛期を迎えていた1999年1月31日、GⅠ「フェブラリーステークス」でついに地方勢の悲願を果たした。

 地方所属馬によるJRAのGⅠ制覇を達成したのは、いまだにメイセイオペラだけだ。

 菅原が騎手を引退した2012年、岩手競馬を巡る環境は厳しさを増していた。メイセイオペラがいた頃でさえ潤沢な資金を持つ馬主は少なく、必然的に血統では見劣りする馬が集まった。経営難に陥っていた岩手競馬の賞金は減り続けており、状況がすぐに改善されそうにはなかった。

 そんななかで調教師として歩み始めた菅原は、こう決意していた。「若馬から育て上げ、全国で活躍させる」と。

 開業4年目の2015年、その思いに応える馬が育ってきた。それが、ラブバレットだった。

 春にはレベルが高い関東地区に遠征し、中央勢に交じって善戦。秋には笠松(岐阜県)の「笠松グランプリ」で優勝し、他地区での重賞初制覇を遂げた。

 当時私は、盛岡市で記者をしていた。岩手競馬の連載を書くため、菅原に取材を申し込んだ。そこで熱い言葉を耳にする。

 地方競馬の中で比べても血統的に劣ってしまう馬が多かった。だから全国で勝てる馬が出ないのでは? そう問う私に「それは言い訳でしかない」と菅原は言った。

 「メイセイオペラも血統的には大したことはなかった。可能性はどの馬にだってある。私がやらなければいけないのは、全国に出ていける馬を育て、挑戦し続けること。ファンが求めるのもそういうことでしょ」

 寒さが厳しい冬は吹雪が襲い、馬場の水たまりが乾くことはない。そんな小さな水沢競馬場から、「中央」の舞台をもう一度狙う――。菅原の目は、本気だった。

 ラブバレットは全国の重賞レースで中央の馬と渡り合い、力をつけていった。17年1月29日、ようやくJRA重賞レースへの挑戦が実現する。

 GⅢ「根岸ステークス」。メイセイオペラも疾走した東京競馬場が舞台だった。直線半ばで先頭に迫る、見せ場十分の競馬。最後はバテて10着だった。勝利はできなかったが、中央の舞台で戦うという菅原の夢を一つかなえた瞬間だった。

 その後も、ラブバレットは地方のGⅢレースで3度2着になるなど活躍をみせた。近年はさすがに全盛期の力はなくなったが、岩手競馬の「顔」として走り続けてきた。

 もう10歳。残る現役生活はそこまで長くなかったはず。悲しい最期を迎えたのは残念でならない。地方競馬のファンにたくさんの夢と希望を与えたラブバレットには、余生をゆっくり過ごしてほしかった。

 水沢競馬場では5月30日から6月6日まで、ラブバレットをしのんで献花台が設置される。現在東京で勤務する私は、現地に向かうことができそうにない。心の中で手を合わせようと思う。(松本龍三郎)