大火砕流で失った教え子6人 記憶の風化にあらがう絵筆

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小川直樹
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 長崎県島原市の元高校教諭、満行(みつゆき)豊人さん(83)は、30年前の雲仙・普賢岳の大火砕流で教え子6人を失った。消防団員や運転手だった彼らのことを後世に語り継ぐことが、鎮魂の営みだと考えてきた。進む記憶の風化にあらがおうと、山の姿を連作の水彩画にし、島原市で開催中の災害資料展に寄せた。

 1991年6月3日午後4時8分。数百度の火山灰や岩塊が火山ガスと混ざり合い、高速で山腹を駆け下りた。火砕流は、カメラを構える報道陣や詰め所の消防団員らをのみこんだ。

 高校の地理教諭だった満行さんは、わずか約40分前、消防団の詰め所近くにいた。一帯は避難勧告が出ていたが、勧告の対象地域に入って山を撮っていた。この日は山頂が雲に覆われたため撮影を断念。「雨が降ってこなかったら、自分が遭遇していたかもしれない」

 自宅に戻った満行さんは、大火砕流の発生を伝えるニュースに釘付けになった。住民に避難を呼びかける消防団員は、島原農業高校で担任した教え子だった。画面の中で教え子は、よろめきながら「来るな、帰れ」と叫んでいるように見えた。

 次々と伝えられる犠牲者の中…

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