津田三蔵はなぜ剣を抜いたのか 大津事件130年の謎

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聞き手・阪本輝昭、構成・岸上渉
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朝日新聞ポッドキャスト ディープ日本史

 来日中のロシア皇太子を警備中の巡査が斬りつけた――。近代化へようやく歩みだしたばかりの日本を大きく揺るがせた1891(明治24)年5月の「大津事件」。それからちょうど130年、その背景や真相を探ります。日本史に迫る「ディープ日本史」シリーズの第1弾。6月6日まで企画展が開かれている、大津市歴史博物館の高橋大樹学芸員に聞きました。

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その日、ロシア皇太子に何が起こったか

Q:まずは大津事件の概要について教えてください。

A:事件が起きたのは明治24年5月11日。当時、日本に興味のあったニコライは、シベリア鉄道の極東起工式に出る足で来日しました。長崎に到着後、鹿児島や神戸などを経て、京都から大津に入りました。県庁での歓迎会を終えて京都のホテルに戻る最中、路傍で警備中だった津田三蔵巡査に、サーベルで突然斬りつけられたという事件です。外交的にも、日本の司法制度上でも重大な事件として教科書にも掲載されています。現場には大勢の見物人がいたのではないかとみられています。

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大津市歴史博物館の職員が描いた「漫画大津事件」は、事件の経過をイラストと解説文でわかりやすく紹介している=同博物館のツイッターから

Q:事件が起きたのは、日本にとってはどういうタイミングだったのでしょうか。

A:明治が始まってまだ24年ということで、まさに近代化の途上にあるような時期でした。大日本帝国憲法が制定されて2年、内閣や県知事など、要人が代わったタイミングであり、外交関係、特に強国ロシアとの関係構築に悩んでいた時期でもあります。

Q:現場となった場所に立ち寄りましたが、普通の通りの、何げない一角に石碑があり、ちょっと迷ってしまいました。

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大津事件の発生した現場付近。「此附近露国皇太子遭難之地」の石碑がある=大津市京町2丁目

A:現場の道路は当時の東海道沿い。いまは狭い旧国道にあたり、石碑があるだけで、うっかり見落としてしまいます。「いったいどこなのか」と場所を聞かれることも多いです。

事件130年 新たに確認された史料が語るもの

Q:企画展では目を引いたのは凶器となったサーベルでした。

写真・図版
刃こぼれのあるサーベル=大津市

A:サーベルといっているが、刀身は日本刀です。旧士族が多かった警察官にとって、軽く扱いやすかったのではないかと思われています。企画展では今回、新たな史料も2点公開しています。一つは当時事件に遭遇した人が書いた日記です。「巡査の服を着た人が(ロシア皇太子を)切りつけた」と書かれています。「まさか本物の巡査がそんなことをするわけがない」という思いがこういう記述につながったのでしょうか。

 もう1点は旧彦根藩士が書き留めた、事件の感想めいた和歌です。「狂ひての しわざとはいへ なと露の たまにこてふの はねをふれけむ」と詠んでいます。正気を失っての犯行だとはいうが、なぜ露の玉(ロシアの皇太子)に「小蝶の羽」(刃)を触れるようなまねをしたのか……という解せない心境をうたっています。世間の人たちに与えた衝撃と戸惑いの大きさがうかがえます。今であれば衝撃と不安のつぶやきがSNSを埋め尽くす、といったところでしょうか。

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