第11回「先端でないところ」市場十分ある 日本半導体の処方箋

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聞き手=福田直之、内山修
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 かつて「産業のコメ」と呼ばれた半導体の育成に各国が動きだした。日本政府も国としての支援を模索するが、かつて米国と争った姿はすでになく、半導体の製造技術では主要国から水をあけられる厳しい状況だ。長年半導体業界を調査してきた英調査会社オムディアの南川明氏に、現状の分析と再浮上の方策を聞いた。

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英調査会社オムディアの南川明氏=同氏提供

3つのポイント

(1)日本の半導体産業は、米国との貿易摩擦や円高の影響に経営者が十分対応できず衰退した。現状はかなり厳しい(2)遅れを取り戻すには、一歩一歩技術を高めなければならない。外資を誘致する手もあるが、日本に先端工場を持ってくるビジネス面での理由はどの会社にもない(3)日本の半導体は単品で勝負するのではなく、電子部品やディスプレーの会社と一緒に部品を競争力のある製品を開発していくべきだ

――日本の半導体産業は1980年代後半、米国と世界市場を二分するほど強くなりました。ところが、現在は存在感が非常に薄くなっています。この30年超の間、日本の半導体はなぜ失速したのでしょうか。

 「日本が半導体で強かったのは1980年代だった。強かったのはDRAMという(データの記憶に使われる)メモリーだ。メモリーは同じものをたくさん作ることができる製品で、回路幅を微細化することで記憶容量を増やしていくというロードマップが見えていた。こういう製品に日本は強かった」

――日本がメモリーで発揮した強さは、半導体を生んだ米国の警戒感を呼び起こしました。

 「日米の貿易摩擦が始まって、日本の半導体が世界シェアの50%、DRAMに至っては80%を握ったことで米国は脅威に感じた。それで、日本市場で外国製半導体のシェアを20%に引き上げるようルールを作って、それ以降日本の世界シェアはどんどん落ちてきた。日本が敗退したもう一つの大きな要素は、為替だ。日本が半導体で強かった1985年、1ドル=240円だったが、プラザ合意で120円になり、その後90円、そして80円になった。エルピーダメモリがつぶれたのは超円高が原因だった。為替で不利ななか、日本国内で製造していて勝てるはずがなかった。米国は日本の輸出競争力をつぶせばよい、為替を円高に動かせばよいとしかけた。それで日本はやられてしまった。半導体摩擦と円高は本当にボディーブローで、一企業が解決できる問題ではなかった」

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日本に急激な円高をもたらした1985年のプラザ合意。秘密会合が開かれたプラザホテルは、ニューヨーク中心部の5番街にある

――米国との対立も非常に大き…

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