「論理」見失った先の東京五輪 コロナ禍以前にも兆候

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構成・山崎聡
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 コロナ下での東京五輪パラリンピック開催に「理屈に合わない」「非合理だ」といった声が強まるなか、それでも政権の方針は変わらない。論理的な判断や思考が失われたように見えるのは、なぜなのか。論理学者で国学院大教授の高橋昌一郎さんに聞いた。

 たかはし・しょういちろう 1959年生まれ。専門は論理学・科学哲学。著書に『フォン・ノイマンの哲学』(講談社現代新書)、『20世紀論争史』(光文社新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)など多数。

 「論理的」とは「筋道が通っている」ということ。古代ギリシャの哲学者アリストテレスが「すべての学問の道具」として論理学を位置付けたのは、筋道が通っていなければ、どんな学問も成立しないからだ。

 「論理的」に考えることは、未来を予測することにもつながる。たとえば、津波は、複雑な要因で大きく変化するため、陸上に到達する時点でどれほどの高波が押し寄せるかわからない。そこで世界各国は、最悪の事態を想定して「津波警報」を発令している。それが「危機管理の論理」といえる。

 さて、昨年3月、東京五輪パラリンピックが1年間延期されることに決まった。それ以降、もし日本政府が徹底した入国規制や人の流れの抑制を実施し、さらに今頃までに国民の大半がワクチン接種を終えて新規感染者数がゼロに近付いていたら、五輪はまさに「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」として、世界から称賛されたにちがいない。

 ところが、昨年の夏から冬に…

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