東日本出土の勾玉など76点は県産水晶 調査で判明

永沼仁
[PR]

 東日本で出土した古墳時代前期の水晶製の勾玉(まがたま)の多くが、山梨県産の原石で作られていたことが、県立考古博物館(甲府市)の一之瀬敬一学芸員らの研究で明らかになった。宮城から静岡まで広く流通しており、水晶の産地として山梨が大きな力を持っていたことを示す成果だ。

 水晶製の玉類は、産地特有の不純物が加工により取り除かれることが多く、原産地の推定分析が難しかった。今回の研究では、帝京大文化財研究所笛吹市)の金井拓人助教が考案した赤外線を当て微量な元素を測る方法を利用した。

 対象は、古墳時代前期(3世紀半ば~4世紀後半)の水晶製の遺物。関東甲信、静岡、宮城で出土した勾玉のほか、原石を加工する山梨と長野、埼玉にある生産地遺跡の未製品を昨年度調べた。

 その結果、5県8遺跡の勾玉10点と、生産地遺跡の未製品66点が、すべて山梨県産であることが分かった。水晶の鉱床として県内6鉱床のデータと比較しており、甲州市の竹森地区を原産とする水晶が比較的多かった。

 装身具や副葬品として扱われた勾玉は、地域の有力者のパワーを示す「威信財」だった。甲府市には東日本最大級の前方後円墳「甲斐銚子塚古墳」があり、古墳を築いた有力者が、玉類に加工するか、原石のまま流通させた可能性があるという。

 この時期の勾玉は、その形状などから「山陰系」と「関東系」に分けられるが、今回の研究で関東系が山梨由来である可能性が高くなった。一之瀬学芸員は「西日本で作られ、中央からもらうイメージも強かったが、山梨の有力者は自分で作り、贈ることのできる力を持っていたことになる」と話す。

 コロナ禍で調査が制限されているが、今後も各地の玉類の分析を進める考えだ。「奈良の生産地遺跡を調べれば、山梨の原石が見つかり、大和の王権と甲斐の有力者の関係が具体的に明らかになるかもしれない」。県産水晶の全国での流通実態の解明に意欲をみせる。

 研究成果には、県内の宝飾業関係者も注目する。江戸時代以来、水晶の産地として加工技術が磨かれ、ジュエリー産業として発展してきたからだ。

 山梨県立宝石美術専門学校付属ジュエリーミュージアムで宝飾業の歴史解説を担当している西洋一教授は「山梨の水晶は質、量ともに国内屈指。すでに古墳時代から加工が始まり、各地に流通していたというルーツが分かってうれしい」と喜ぶ。

 水晶製の勾玉や未製品の一部は、考古博物館の企画展「AR古代望見」で13日まで見ることができる。問い合わせは同館(055・266・3881)へ。(永沼仁)