「窓ぎわのトットちゃん」世界で反響 競争社会に差す光

有料会員記事

久田貴志子
[PR]

 出版から今年で40周年を迎えた黒柳徹子さん(87)の大ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』。子どもの個性や多様性をそのまま受け止める学校の姿が、トットちゃんの目線で描かれています。時代や国境を超え今も読み継がれるのはなぜでしょうか。

「窓ぎわのトットちゃん」とは

 著者が通った小学校トモエ学園での日々をつづった自伝的作品。出版40周年の今年で800万部を超える戦後最大級のベストセラー。中国語、英語、韓国語など21言語に翻訳され、内外合わせると2300万部超。著者朗読のオーディオブックも配信中。

 東京・JR国立駅からほど近い国立音楽大学付属幼稚園。園庭には小川を巡らせ、メダカを飼うなど自然に触れる機会を大切にしている。

 「はじめにリズムありき」

 初代園長・小林宗作(そうさく)が好きだったこの言葉を園は大切に守り続けてきた。「自然の中にリズムがあるという教え。効率的に育つことが良しとされる時代にあって、ゆっくりでもいい、一人ひとりの子どものリズムを大切にした保育をしているかを確認するのです」と林浩子園長は言う。

 この小林宗作こそ『窓ぎわのトットちゃん』の舞台であるトモエ学園の校長先生だ。「トットちゃん」こと俳優・タレントの黒柳徹子さん(87)は「校長先生に出会っていなかったら今の私はいなかった」と常々語っている。

 私立トモエ学園は戦時中、東京・自由が丘にあった。児童約50人、教室は古い電車の車両、時間割がない一風変わった小学校だった。そこへ、公立小学校を退学させられたトットちゃんが入学してくるところからお話は始まる。

 かつて読んだ印象は、みんなとどこか違う型破りな女の子が優しい先生やお友達に出会って成長する愉快な物語だった。実際、トットちゃんはトイレに落とした財布を汲(く)み取り口で捜したり、小児まひの同級生を木に登らせたり、やることがハンパない。今読み返すと、小林校長がハンディがあっても運動会で一等賞になれる競技を工夫するなどどの子にも輝ける場所をさりげなく作ってくれていた学校だったことがうかがえる。

 トモエ学園は空襲で焼けてなくなり、小林校長は戦後に教育現場に戻った。

 軍国教育の時代に都会の片隅で花開いたトモエ学園の物語が『窓ぎわのトットちゃん』として世に送り出されたのは終戦から36年後の1981年のことだ。翌年には500万部超えという爆発的な売れ行きを見せた。

 朝日新聞は家庭面で連載を構え、戦後最大級のベストセラーの背景を掘り下げた。児童学の専門家は「今の教育は勝つ者と負ける者を選ぶ競争原理のうえに成り立っていて息苦しい。だからこそ、『トットちゃん』の自由な世界にあこがれ、みずみずしい子どもらしさにひかれたのでしょう」と分析した。

 日本女子大学の清水睦美教授(学校臨床学)は当時の状況について、高校進学率が70年代半ばに9割を超え、80年代は世界が新自由主義に包まれて競争に向かっていった時代だと説明する。詰め込み教育の反省からゆとり教育が導入されたものの、いじめや不登校、暴力などの問題が顕在化した。「知識習得のみで序列化し、落ちこぼれる生徒は校則強化で管理した。女子は将来の選択肢が少ない分、さらに抑圧されていたと思う」と清水教授は言う。

 連載によると、トットちゃんブームの火付け役は「30歳前後の若い母親」(講談社)。彼女らは「自分のことになるとリアリスト。子どもは塾にやり、教育の過熱をもたらしてもいる。心の底には後ろめたさもある」との出版関係者の見方も伝えた。

 時代は下り、今春、小学校の…

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。