第5回「令和」考案?の中西進さん 語った万葉集と「風土」

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――正月(むつき)立ち春の来(きた)らばかくしこそ 梅を招(を)きつつ楽しきを経(へ)め

(正月になって春が来たら、このように梅を折ってかざして、楽しみの限りを尽くして遊ぼうよ)

 2月13日、福岡県太宰府市大宰府政庁跡で、「梅花の宴」が開かれた。口火を切る大弐紀卿(だいにきのまえつきみ)の歌に始まり、大伴旅人(おおとものたびと)や山上憶良(やまのうえのおくら)らに扮した万葉衣装の男女が、梅の花を愛(め)で、ウグイスの声に恋する万葉歌32首を次々に歌い上げた。

 「梅花の宴は、大宰府で妻を亡くして悲しむ旅人さんをみんなで慰め、『楽しい』を見いだそうとする場だったと思います」。宴を再現してきた大宰府万葉会の代表、松尾セイ子(82)は話す。松尾自身、長年連れ添った夫を昨年亡くした。万葉集を学んだきっかけも、高校教諭の夫の勧めだった。「コロナもあって開催を迷ったけれど、悲しみを楽しみに変えていきたい。梅の花は希望の花です」

 元号のもとになった「初春令月 気淑風和(しょしゅんのれいげつにして、きよくかぜやわらぐ)」を含む序文と32首の歌が万葉集に載る「梅花の宴」が開かれたのは、旅人が大宰帥(だざいのそち)として平城京から赴任して2年後だった。同行した妻の死は旅人には大きなショックで、自ら妻との思い出や寂しさを吐露した歌が万葉集に10首以上も残る。部下に当たる憶良も、旅人の悲しみに共感した「日本挽歌(ばんか)」を贈っている。

働きかけた万葉歌碑建設

 松尾は、長崎県の島原高校を…

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