大阪 猪飼野にまちの居場所 地元出身の元教師が開設

中野晃
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 大阪市生野区のコリアタウンに近い一角に、だれでも立ち寄れる居場所「まちの拠(よ)り所(どころ) Yosuga(よすが)」がある。猪飼野(いかいの)と呼ばれたこの地域で生まれ育ち、地元の小学校で長年教壇に立った足立須香(すが)さん(62)が開いて3年になった。国籍や世代をこえて地域の人々がつながり、まちの歴史を未来へと引き継ぐ、学びの拠点づくりを目指している。

 南北に貫く「一条通り」沿いの一軒家に、猪(いのしし、豚)の形をした木の看板がかかる。5月の木曜日の夕方。雨の中、子どもたちが次々とやってきた。

 「ぬれてもうた」

 「風呂入ったのに」

 足立さんや応援スタッフの洪佑恭(ホンウゴン)さん(54)に話しかける。足立さんは3月末で閉校になったすぐ近くの市立御幸森(みゆきもり)小学校の元教師。洪さんも同小の民族講師だったので、顔なじみの子どもが多い。

 毎週木曜、数人のスタッフで30食分の弁当を作り、子どもらに無償で提供している。コロナ禍の前は子ども食堂を開いていたが、昨春から弁当に切り替えた。

 不登校ぎみの小学生の子どもがいる母親が訪ねて来た。足立さんは「ここに来てもいいよ」と声をかけ、2人分の弁当を手渡した。

 別の日には近くの寺の若い住職が訪ねて来た。寺の図書室づくりのため、足立さんらが蔵書を提供する。住職は「ここはむかしのお寺のように人が集う場ですね」と話した。

 足立さんが生まれ育ったのは父の出身地でもある東成区の今里。母は生野区の鶴橋駅近くで育った。両区にまたがる一帯は猪飼野と呼ばれ、1970年代前半までは住所表記でも使われた。

 戦前から朝鮮半島にルーツをもつ在日コリアンが多く暮らす。足立さんの幼少期には、民族衣装のチマ・チョゴリを着た女性をまちの中でもよく見かけた。

 ただ、周りの大人たちが「むこうの人」と呼び、在日コリアンの人々と交わろうとしない様子に違和感を覚えた。小中で地元のことを深く学ぶ機会もなく、自分の故郷があまり好きになれなかった。大阪市の小学校教員になった後、家族で京都府に移り住んだ。

 40歳のころ、人権教育の研修担当になり、大阪の在日コリアンの歴史を調べた。猪飼野という地名は古代、渡来人がこの地に来て猪(豚)を飼ったことが由来とされること。日本の植民地支配期、過酷な低賃金労働の担い手となった朝鮮半島出身者が定着するようになったこと。地元の歴史を知るほど興味がわいた。

 34年の教員生活のうち最後の10年は猪飼野にある御幸森小の教壇に立った。3分の2の児童が朝鮮半島にルーツをもつ。地域学習で町工場や民族衣装店を子どもたちと訪ねた。放課後に母国の言葉や文化を学ぶ民族学級の取り組みも評価され、国連教育科学文化機関が認定する「ユネスコスクール」に選ばれた。

 猪飼野の魅力に気づき、腰をすえて町づくりに関わりたいと、退職金で空き家を購入し、2018年5月、「まちの拠り所」を開設した。19年夏には猪飼野を懐かしがっていた90代の父と京都からコリアタウン近くの長屋へ引っ越した。

 これまでに子ども食堂や演劇の公演、映画の上映会などさまざまなイベントを開いてきた。精神障がい者との共生を考えるグループなども利用し、地域活動の拠点になっている。

 足立さんは教員時代、子どもたちに「差別に負けたらあかん」と教えてきた。「差別のない社会にするのはまず、大人の側」。そのためにも地域の人々がつながり、ともに学ぶ拠点にしたいという。

 生野区勝山北5丁目。問い合わせは、足立さんが代表の一般社団法人「ひとことつむぐ」(https://hitokototumugu-yosuga.com/別ウインドウで開きます)。6日までロゴマーク作りなどで協力しているデザイン専門学校生のSASUKEさんのイラスト展を開催している。(中野晃)