「今日まで来られたよ」 大火砕流30年、島原で追悼式

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小川直樹 藤原慎一
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 消防団員や報道関係者ら43人が死亡・行方不明になった雲仙・普賢岳長崎県)の大火砕流から3日で30年を迎えた。この日、地元の島原市では追悼式が営まれ、遺族らが犠牲者をしのんだ。今も崩落の危険がある山頂の溶岩ドームからふもとを守る砂防工事はこの春完成したが、火山災害は各地で相次いでいる。

 30年前の火山活動で大火砕流が発生した雲仙・普賢岳の山頂から東へ約5キロ。火砕流や土石流で住まいを追われた被災者が集団移転した仁田団地の一角に立つ追悼碑前で、島原市の追悼式は催された。遺族ら約60人が参列し、1993年6月23日の火砕流で亡くなった1人を含む44人の犠牲者を悼んだ。

 古川隆三郎市長は式辞で、「山頂には1億立方メートルもの溶岩ドームが今なお不安定な形で覆いかぶさっている。さらなる防災体制を強化することが、犠牲者へのせめてもの供養になる」と述べた。

 追悼碑には献花台が設けられ、参列した人たちは、市が用意した白いキクを次々と捧げた。

 午後には、遺族が自衛隊のヘリコプターに乗り、大火砕流で犠牲者が出た上木場地区を上空から慰霊する予定。発生時刻の午後4時8分には市内全域でサイレンを鳴らして黙禱(もくとう)する。

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